■profile
今村岳司/いまむらたけし】
西宮市議会議員/3期目 1972年、西宮市生まれ。 甲陽学院高・京都大法学部卒■浜学園講師・リクルートを経て99年、市議トップ当選(26歳)

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2011.01.29

メインタイトル

西宮市議会議員は48万人の市民の代表だ、と言っても、
実際は、投票に行った14万人の代表に過ぎないのです。
そして、投票に行った14万人のうち、10万票くらいは「組織票」なのです。だから…。

PDFのD/L(表面)

PDFのD/L(裏面)

「投票に行かない人」は知らない間に損をしています。
「投票に行けない人」にはツケが残されていきます。

自分が投票に行かなくても、誰かがちゃんと行くだろう。そう思っていると思います。
ええ、ちゃんと行きます。利益団体や、官公労や、役所のOBは、必ず投票に行きます。「当然の権利」として。ちゃんと。
そんな選挙で選ばれた人は、当然、その利益団体や官公労や役所のOBを守るために、仕事をします。

政治家は選挙が何よりこわいので、「投票に行く人」に媚び、「投票に行く人」の得になるようにがんばります。
そんな政治家たちにとって、「投票に行かない人」なんて眼中にありません。
さいきん西宮に引越してきた人、サラリーマン、若い人…。そういう人たちは「投票に行かない人」と思われています。
とうぜん、政治家は「投票に行かない人」に損な役回りをどんどん押しつけていきます。いわゆる「欠席裁判」。

「政治はいつも老人いじめ」という「投票に行く人」の声は議会に届いています。それはもう、じゅうぶんすぎるほど。
でも、いっぽうで、「もっといじめられることになる」お孫さんは、議会に声を届けられない「投票に行けない人」です。
「越してきたばっかりだから市のことは興味ないし…」というあなたは「投票に行かない人」です。
でも、いっぽうで「わたしの命より大事・」なあなたの愛する天使は、議会に声を届けられない「投票に行けない人」です。
「将来の西宮にツケを残さないで!」という彼らの声を、彼らの代わりに議会に届けてあげるのは、誰のお役目でしょうか。

日本は民主主義の国ですから、あらゆる政治家は全部、国民や市民が、自分たちで選んだ人です。
なのに、なんだかイビツな気がするのは、政治家が「市民の代表」ではなく、「投票に行く人」の代表に過ぎないからです。

平成19年4月におこなわれた
前回の西宮市議会議員選挙の投票率は、40.16%でした。
「わぁ、けっこう低いね」ですましていい数字なのかどうなのか、
ちょっと算数してみましょう。(数字アレルギーの人、ごめんなさい。。)

メインタイトル

 前回の西宮市議会議員選挙は4年前におこなわれました。4年前の西宮市の人口は472,481人で、有権者は364,110人でした。この47万と36万の差し引きは「投票に行けない人」で、その中には、未成年者92,204人が含まれています。
 有権者は36万人ですが、投票率は約40%で、約22万人が棄権したことになります。彼らは「投票に行かない人」です。
 投票した146,236人を、各候補者の得票から分析してみると、だいたい10万人くらいが政党支持・特定の団体の所属者(組織票)と推計されます。基本的に「組織票」は組織の利益のために投票し、それで選ばれた議員はその団体の利益を優先して考えます。
 そして、「特に支持政党・団体はないが投票した人」は、たった4万人ということになります。この4万人は、投票した14万人のなかではえらく少数派です。「組織票な人」の投票率は限りなく100%に近いので、「組織票でない人」は、有権者の中での割合が「36万分の26万(約7割)」なのに、そのうちの22万人が「投票に行かない人」なので、政治への意見反映は「14万分の4万(約3割)」になってしまいます。

 平成19年の時点で西宮に住んでいた47万人のうち、未成年者9万人は「投票に行けない人」でした。彼らの世代に、これまでの政治はどんどんツケを残してきました。でも、彼らにも親がいるはずで、その親たちは「投票に行ける人」です。
 同じく47万人のうち、26万人の「組織票でない人」たちは、そのうちの22万人が「投票に行かない人」なので、知らない間に損をしています。

 西宮の政治は、47万人(いまは48万)全員のものですし、さらに生まれてきていない「将来の西宮市民」のものでもあります。「投票に行けない人」にツケを残してはいけないし、「投票に行かない人」だからといって損をさせてはいけません。親たちは「投票に行かない人」のことも考えて「投票に行く人」にならなければいけませんし、政治家は、単なる「投票に行く人の代表」ではなく、「西宮全体に責任を持つ市民の代表」としてあらゆる問題を判断することが求められていると思っています。

「14分の4」が「36分の26」を代弁しなくてはいけない議会で、
「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」を実現するための議論をしてきました。
「14分の4」を「36分の26」に近づけられば、
「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」を実現しやすくなります。
みんなの西宮じゃないですか。だから!

 すべての西宮市民が、すべての西宮市の問題に関心を持っているわけではありません。それはべつに責められるべきことではないと思っています。あんまりいろんなことを心配せずに、安心して暮らす権利があるべきだし、そうできるまちこそがいいまちだと思います。そのぶん、プロの政治家が「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」をし、その判断で議員は評価されるべきだと思います。

 ただ、すべての議員が「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」をするわけではなく、「一部の利害関係者にとっての最も適切な判断」を主張する議員も少なくありません。そして、それはある意味において責められるべきことではありません。
 有権者が36万人いる西宮で、22万人が棄権をし、投票に行くのはたった14万人。そのうち約10万人が「組織票」という一部の利害関係者で、「組織票ではない人」の意見はたった4万票ぶんしかないのです。言い換えれば、西宮に住んでいる26万人の「組織票ではない人」のうち、投票に行くのはたった4万人なのです。
 ふつうの人は、普段は市政の問題にとくに関心を持ったり、特別強い主張をしたりすることはありません。しかし、直接自分に不利なことになるとなれば話は別です。その問題は彼らを大きく刺戟し、行動的にさせます。人間は「喜ばしいこと」より「困っていること」のほうに刺戟される生きものですから。
 そこで、議員は、「困っている人」に関わろうとします。「困っている人」は刺戟されていて行動的で、取り込みやすいからです。その議員は傍聴席に「困っている人」を呼んで、議場で感情的なパフォーマンスをします。「困っている人がいる」と。

 「困っていること」が、政治や行政の不公正や欠陥によるものである場合は、ただちに議会で問題にして改善するべきです。議員は「困っていること」への具体的な解決策(当然、財源を含む)の提示と、それが公正な主張だという論理的証明を議会でするべきです。  しかし、その「困っている」が既得権益を守るための一部のエゴや無責任で不公正な主張にすぎない場合もあります。その場合、「困っている人」を議員が煽動して圧力にしていきます。彼らの主張は煽動によってどんどんエスカレートし、どんどんヒステリックで不公正なものになっていきます。そうして「組織票」という支持母体や、「(自称)市民派」という偏った集団が形成されていきます。さらには、ハナから“完成された強固な自分の「組織票」”の既得権益を守るために行動している議員もたくさんいます。
 それはもう「民主政治」などではなく、「大衆政治」です。

 「組織票ではない人」は、あまり市政に関心もなく、主張もしないので、知らない間に損をしていきます。14万票のうちの10万票が「組織票」、という議会ではそういう危険性が常にあるのです。“さいきん西宮に引越してきた人・サラリーマン・若い人”などの「投票に行かない人」と思われている人たちや、“未成年”や“これから生まれてくる子供たち”のような「投票に行けない人」は、いつも欠席裁判で損を押しつけられる側です。
 「14万票ぶんの4万票(約3割)」という「組織票ではない人」の割合は、最大「36万票ぶんの26万票(約7割)」にまで高めることができます。「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」を、投票という権利を責任を持って行使することで守らなければなりません。そして、まだその権利を持たない子供たちのぶんは、親が守ってあげなくてはいけません。といっても「36万票ぶんの26万票」(投票率100%)はさすがに非現実的すぎ。でも、せめて、あと6万人が投票に来れば「組織票ではない人」の割合は50%になります。言い換えれば「いま40%の投票率を55%に」。ぜんぜん不可能な感じはしないでしょう?だから!投票にいきましょう。

 私には、政党の支援も団体の支援もありませんし、個人後援会も組織していません。それは、議会で「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」をするのが使命だと思っているからです。
 議会での私のお仕事は、「14万分の10万」に押し切られないように、感情的な主張に負けずに、公正で合理的な議論によって「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」を実現することなのです。

「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」という正論を議会で通すのは、
とてもたいへんなことです。
その正論を実現するために議会にいる人ばかりではないので。

●公立病院の存続について。

 経営難の市立中央病院には、これまでも年に20億円ずつくらいの税金を投入して運営してきましたが、老朽化してきていることなどから、建て替えや移転の議論が出てきています。しかし、それには200億円(西宮全世帯が10万円ずつ負担する金額)近い税金が必要になります。

 中央病院に勤務する公務員や、現に通院している患者にとっての「最も適切な判断」は、「税金を突っ込んで病院を存続する」となるでしょう。でも、西宮全体とっても、それが「最も適切な判断」だといえるでしょうか。もし、西宮に病院がないのなら、福祉として行政が責任を持って病院を存続するべきでしょう。でも、西宮は高度医療を担当できる大型病院もじゅうぶんあり、医療体制はとても充実しています。ですから、「廃止を含めたゼロベースの議論を」と訴え続けています。

 「病院職員にとっての最も合理的で適切な判断」が「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」に優先されてはいけません。

●公務員の給与制度について。

 公務員のルールでは、年齢が上がればどんどん給料は高くなっていきます。成果を出さない高齢ヒラ職員が、若くて優秀な管理職員より給料が高いなんてこともありえます。また、官僚と現業職員の給料が同じ制度で決まるため、同じ年齢の官僚と運転手が同じ給料だったりします。

 成果も出さずに高給を得ている高齢職員や、民間の同職種と較べて突出した高給を得ている現業職員にとっての「最も適切な判断」は「このまま」でしょう。しかし、それは不公正で、職員のやる気を削ぎます。

 労働組合との馴れ合いを排除し、成績をボーナスに反映することや、現業職の給与ルールを分離することや、昇進しなければ給料が上がらないルールなど(ぜんぶ当たり前すぎますが…)、市の年間支出1500億円のうち360億円を占める人件費の適正化を訴えています。

 「成果を出さない公務員にとっての最も合理的で適切な判断」が「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」に優先されてはいけません。

●幼稚園の運営の公私間格差について。

 市内の公立幼稚園の児童数は約1600人。私立の児童数は5倍の約8000人です。小学校以上の「私立」と違い、一般的な幼稚園サービスをも西宮の私立幼稚園は担っています。にもかかわらず、公私の保育料には2倍以上の差があるいっぽうで、園児1人あたりに使う市税は、私立の約5万円に対して公立では約74万円です。最大の原因は異常に高い人件費。不効率な公立にとっての「最も適切な判断」は、もちろん「このまま」。教員は「公立幼稚園の教育内容は私立より高品質」などのデマや感情論で保護者を煽動し、既得権を守ろうとしています。過去、同様に職員の保護者煽動で、保育所の民営化も頓挫させられています。

 保護者負担の格差是正に加え、公立幼稚園に関しては、統廃合だけではなく、抜本的な効率化を訴えています。

 「公立幼稚園教諭にとっての最も合理的で適切な判断」は「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」に優先されてはいけません。

●議員定数について。

 定数削減のメリットは、コスト的なものだけではありません。当選に必要な票数が上がるわけですから、一部の既得権益のみを代弁する議員は当選しにくくなり、議会の議論の品質を上げることにもつながります。

 落選したくない議員にとっての「最も適切な判断」は「定数そのまま」に決まっています。でも、西宮全体を議論する議会でそんな判断がまかり通るようなら、「西宮にとっての最も適切な判断」をするところとはいえません。私は、委員長を務めた議会改革特別委員会で定数問題をとりあげたうえで、定数削減派を代表して議会に提案、賛成多数で実現しました。「議員特権廃止」を訴えて当選してきた自称市民派の議員でさえ、委員会で「私のほうが絶対におちる可能性が高い」などと意見して削減に反対。いかに理屈を吐こうが、結局「削減反対」は保身なのです。

 「落選したくない議員にとっての最も合理的で適切な判断」が「西宮にとっての最も合理的で適切な判断」に優先されていいわけがないのです。

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