2006年9月
政治家になって8年目。いまの私を衝き動かすものは、夢や希望ではありません。
この西宮の政治への使命です。
夢は破られる、希望は穢される、そうして、そこで足が止まる。
それでも、使命が果てることはありません。
私が政治家であり続ける限り、その使命は私の目の前に誇りとともに存在し続けます。
ただただ、そのために闘い続けるのです。
8年目の闘う政治。
「蒼志会です」と笑顔で差し出したチラシ。その女性は無言でそれをひったくり、破り捨てて逃げていきました。くしゃくしゃに丸めて投げつけられたこともあります。政治を始めて8年目。年々そういったことが増えました。
初めは悔しいとも思いました。ぶん殴ってやりたいとも思いました。私の配るチラシは、自分の政治への想いを込めた分身ですから。でも、いまは破り捨てられることが誇りですらあります。それは、私が「闘う政治」を貫いてきた証だからです。
1999年、情熱だけで26歳のときに立候補しました。西宮は、何も持たずに古い政治に挑戦する私をトップ当選で迎えてくれました。私は政治家になりました。そして、意気揚々と戦場に赴いた私は、政治と行政をとりまく現実に絶望しました。あらまほしき西宮と、現実との距離に目が眩むようでした。それでも、始めてしまった責任を果たすために闘い続けました。そして、私は壊れてしまいました。約一年半前のことでした。
私はぼろぼろになった身体と精神を休めながら、すべての感情を廃して、自分の政治を振り返りました。そして、政治の世界にいる意味を悟りました。それは、この哀しい現実の中で、未来の政治を創るために働くという「使命」でした。その使命のために智慧と哲学を磨き、自分を鍛え続けること。現実を現実として受け入れ、その泥沼の中で働くこと。そして、その使命を果たすべき場所に存在していることを誇りに思うようになりました。
もう、無理に自らを鼓舞することもありません。怒りを力にかえて闘うこともありません。トップ当選の歓喜も、髪を染めて旧態に対して怒りをぶつけていたことも、すべては過去です。私は、感情をはじめとする無駄なものをすべて捨て去りました。いまの私を支えているものは、ただただ果たすべき使命に対する誇りと、政治家としての自分を高めたいという欲望なのです。
西宮を一歩でも前に進めようとすれば、必ずそれに抵抗しようとする人たちがいます。しかし、使命のもとで仕事をする私は、誰にも媚びないし、どんな闘いも恐れません。批判の矢面に立つことも厭いません。些事に気を滅入らせることもありません。
あたらしい西宮を恐れ、阻もうとする人たちにとっては、きっと私は象徴的な「敵」なのでしょう。だから、私のチラシは破られ、捨てられるのです。それでも、いまの私は次に通りかかってくれた人に笑顔でチラシを差し出すことができます。西宮に未来の政治を伝えることが自分の使命だからです。
私という政治家がいなくなろうが、私という人間がいなくなろうが、西宮の政治は生き続けます。私はその大きな時代の流れの中のある一箇所で、役割を担っているに過ぎません。ですから、その流れを絶やしてしまうことは歴史に対する罪になります。歴史からもらった役割をただ淡々と果たすことこそが、あたらしい「闘う政治」なのです。
私は、「闘う政治家」として、この政治の現実の中に存在し続けてきました。どれほど傷ついてもこの旗印だけは下ろすことなくやってきました。
愛する西宮の歴史のために、自分の人生を使う覚悟くらい、とっくにできています。







