2007.06.10
市議会議員選挙の記録
2007年、市議会議員選挙の記録(2007年6月10日)
〜活動報告チラシと日記に見る3回目の選挙。
1999年に始めた政治活動は私にとって何だったのか。
2003年の選挙からの2期目4年間は私にとって何だったのか。
2006年の秋からの半年に亘る活動は私にとって何だったのか。
そして、2007年の春に迎えた結果は私にとって何なのか。
3回目の選挙が終わってしばらく経ったいま、やっと自分で総括できるようになりました。
これで、改めてあたらしい政治活動を始めることにします。
■1■2003年に始まっていた戦争
2003年の選挙でトップ当選を失い、2位に甘んじました。26歳で記録した「初出馬トップ当選(しかも2位の約2倍の得票)」に始まった自分の政治活動をどう扱っていいのかわからない私は、不甲斐ない(尤も、そう自覚したのは結果を見せつけられてからですが)四年間の政治活動の結果を見せつけられたかっこうになりました。"輝かしい"政治家デビューに酔い、驕っていたのです。四年もかけて成果を出せなかった自分への懺悔。四年経っても何も変わっていない政治への絶望。このあと、長い鬱を経て、私は再び政治家としてゼロから歩み出しました。
リスタートした私は、自らを厳しく鍛え直すことにしました。まずは身体から。食事を節制し、日々運動をすることによって、体力増強と健康維持を心懸けました。そして研究。より深い調査研究によって、政策の精度をより高めようとしました。そして組織論。優秀な学生たちと活動を共にしながら今村組を組織として再構築し、自らリーダーとしてどうあるべきかを試行錯誤するようになりました。そしてなにより、自分の政治哲学。何のために自分は政治をしているのか。自分にとっての政治とは何なのか。自らに深い影響を与えた数々の本を改めて読み直し、独りになる時間を作ってもういちどゆっくり考え直しました。そして私は、「闘う政治」を掲げて政治活動を再開しました。
再起動した私は、(いま思えば必要以上に)攻撃的でした。「闘う政治」。つまり、一期目のころ掲げていた「闘う政治、魅せる政治」というテーマから、敢えて「魅せる政治」というテーマを削ぎ取ったような政治を始めました。前進しない役所に対しては、慣例をも無視した情け容赦ないディベート攻撃をしました。一方で、今村組は数々の選挙の援軍に行き、高いモチベーションと統制のとられた迅速な活動で、どの選対(選挙対策本部)にも驚かれる存在であり続けました。今村組を率いての連戦連勝によって、私は、驕りではない真の自信をつけるようになりました。自らの強さを自覚するにつれ、感情を剥き出しにすることが減り、ただ淡々と「闘う政治」を掲げて活動することができるようになりました。議会活動も、「役所の不足を攻撃する」というスタイルから、「役所との交渉によって前進を引き出す」というスタイルに変わりました。闘うこと自体を目的とする活動から、政策の進展を得ることを合理的に追求する活動に変わりました。
一方で、2006年の夏、いよいよ翌年の選挙を見据えた活動を開始するころ、40人のメンバーを擁する規模になった今村組は、間違いなく過去最強の組織になっていました。
◆2006年8月号◆
笑顔で差し出したチラシが
目の前で破り捨てられるということ。
―8年目の闘う政治。
政治家になって8年目。いまの私を衝き動かすものは、夢や希望ではありません。この西宮の政治への使命です。夢は破られる、希望は穢される、そうして、そこで足が止まる。それでも、使命が果てることはありません。
私が政治家であり続ける限り、その使命は私の目の前に誇りとともに存在し続けます。ただただ、そのために闘い続けるのです。
「蒼志会です」と笑顔で差し出したチラシ。その女性は無言でそれをひったくり、破り捨てて逃げていきました。くしゃくしゃに丸めて投げつけられたこともあります。政治を始めて8年目。年々そういったことが増えました。
初めは悔しいとも思いました。ぶん殴ってやりたいとも思いました。私の配るチラシは、自分の政治への想いを込めた分身ですから。でも、いまは破り捨てられることが誇りですらあります。それは、私が「闘う政治」を貫いてきた証だからです。
1999年、情熱だけで26歳のときに立候補しました。西宮は、何も持たずに古い政治に挑戦する私をトップ当選で迎えてくれました。私は政治家になりました。そして、意気揚々と戦場に赴いた私は、政治と行政をとりまく現実に絶望しました。あらまほしき西宮と、現実との距離に目が眩むようでした。それでも、始めてしまった責任を果たすために闘い続けました。そして、私は壊れてしまいました。約一年半前のことでした。
私はぼろぼろになった身体と精神を休めながら、すべての感情を廃して、自分の政治を振り返りました。そして、政治の世界にいる意味を悟りました。それは、この哀しい現実の中で、未来の政治を創るために働くという「使命」でした。その使命のために智慧と哲学を磨き、自分を鍛え続けること。現実を現実として受け入れ、その泥沼の中で働くこと。そして、その使命を果たすべき場所に存在していることを誇りに思うようになりました。
もう、無理に自らを鼓舞することもありません。怒りを力にかえて闘うこともありません。トップ当選の歓喜も、髪を染めて旧態に対して怒りをぶつけていたことも、すべては過去です。私は、感情をはじめとする無駄なものをすべて捨て去りました。いまの私を支えているものは、ただただ果たすべき使命に対する誇りと、政治家としての自分を高めたいという欲望なのです。
西宮を一歩でも前に進めようとすれば、必ずそれに抵抗しようとする人たちがいます。しかし、使命のもとで仕事をする私は、誰にも媚びないし、どんな闘いも恐れません。批判の矢面に立つことも厭いません。些事に気を滅入らせることもありません。
あたらしい西宮を恐れ、阻もうとする人たちにとっては、きっと私は象徴的な「敵」なのでしょう。だから、私のチラシは破られ、捨てられるのです。それでも、いまの私は次に通りかかってくれた人に笑顔でチラシを差し出すことができます。西宮に未来の政治を伝えることが自分の使命だからです。
私という政治家がいなくなろうが、私という人間がいなくなろうが、西宮の政治は生き続けます。私はその大きな時代の流れの中のある一箇所で、役割を担っているに過ぎません。ですから、その流れを絶やしてしまうことは歴史に対する罪になります。歴史からもらった役割をただ淡々と果たすことこそが、あたらしい「闘う政治」なのです。
私は、「闘う政治家」として、この政治の現実の中に存在し続けてきました。どれほど傷ついてもこの旗印だけは下ろすことなくやってきました。愛する西宮の歴史のために、自分の人生を使う覚悟くらい、とっくにできています。
私は初当選以来、一切の後援組織を持たず、チラシによる広報活動と街頭宣伝活動のみによって政治活動を行ってきました。それは4年前の選挙でも同じでした。パフォーマンスに拠らず、媚びることをしない政治活動。
政策と政治哲学だけをそのまま嘘偽りなくパッケージしたチラシを西宮市内20万世帯(47万人)にポスティングで全戸配布すること。それが2007年選挙の火蓋を切って落とすプロジェクトでした。
これまでの友人の選挙の「援軍」や、一部地域への「蒼志会のチラシのポスティング」で鍛えられた今村組は、そのパワーを如何なく発揮しました。部屋に貼った地図に、毎日その日に配ったエリアを塗りつぶしていきました。みるみるペンで塗り潰される西宮市の地図が、みんなのモチベーションを高めました。エリアの攻略法、ポスティングに必要な地図の用意、食糧や飲物などの兵站、各エリアごとの留意点やタイムのモニタリングなど、「考えながらやるポスティング」となった夏のポスティングは、これから半年間のための「練兵」とも言えるプロジェクトでした。
毎朝7時から日の入りまで。焦がすような暑い日も、雨の降りしきる日も。8月の終わりに始まったこの作戦は、予定を大幅に上回る、たった17日で終了しました。
■2■私の政治とは何なのか〜2007年の再起動
2007年は、正月を晴れない気持ちで迎えました。
チラシを配ればたくさんの反響をいただきます。もちろん応援から、政策提案まで、たいへんありがたいお声もいただきます。でも、中には嫌がらせに近いようなものも。私はただ純粋に西宮と日本をよくするために、この安い給料で、私生活まで捨てて(この2カ月前に離婚していました)命がけでこの仕事をしているにもかかわらず。いったい何のために私は仕事をしているのだろう?
選挙を間近に控えた、テンションを上げていかなければいけない時期にもかかわらず、私は新しいチラシの原稿が書けなくて鬱々としていました。
(2007年1月1日の日記より)
信じることはつらい。裏切られたときの痛みが倍になるから。だから、信じない。
夢見ることはつらい。穢されたときの哀しさが倍になるから。だから、夢は見ない。
そう思って、ただ淡々と闘い続けた06年でした。
それでも信じてしまうから、それでも夢を見てしまうから、だから、痛い、だから、哀しい。繰り返される感情による苦痛。それから逃れたくて、ただただ自分を厳しく律してきました。
それにしてもどこまで削れば、ただ使命にのみ遵って生きることができるようになるのだろう。くだらないことを考えているうちに、今年も晴れない気持ちで、年が変わる瞬間を迎えました。
真っ暗な朝、初日を拝むために小学校の同級生を迎えに行きました。西宮で育った親友と甲山から眺める東のそら。たなびく雲はむらさき色で、稜線の際はオレンジ色。そして、そらの向こうから朱い太陽があがりました。美しく、力強く、優しく、歓びに満ちて。
彼とはいつもいっしょでした。いっしょに西宮で育ちました。最初の選挙に出ようと思ったばかりの26の頃、阪急梅田でばったり会って、そのあとぼくの最初の選挙をいっしょにやってくれました。それをきっかけに彼はある国会議員の秘書になりました。
違う立場から同じように8年間、政治というものを見つめてきました。彼は、誰よりもぼくの西宮と政治への想いを理解してくれている一人でした。彼と話して、やっと大切な挑戦がある年を迎える年への覚悟ができました。
山に登りながら眺めた、甲山の麓に拡がる西宮はまだ夜景でした。つらいことばかりだった西宮は、なぜかいつもに増して哀しいほどに煌めいて。
今年も、この西宮で。
国会議員の秘書を務めてきた彼は言いました。「活躍は永田町にも聞こえてくる。西宮の政治はタケシが出てからずいぶん変わったね。26の時に言ってた『みんなが選挙に行きたくなる政治』をやり続けてきた成果やな。」
自分が何を実現したくて政治を始めたのか。そんな大切なことを忘れていたことに気付きました。そして、26歳の自分がやりたかったことを、未だにやろうとしている自分にも気付きました。彼と別れて家に帰り、26歳のときに配ったチラシを出して読み返しました。
「みんなが選挙に行きたくなる政治がしたい。そのためにこの人生を使うことにしました。」というメインコピー。リソグラフで刷られたA4のチラシには、私の政治の原点がありました。ろくに政策もない稚拙なチラシには、瑞々しい「あたらしい政治への想い」が溢れていました。8年経って現実との闘いに疲れている自分を恥じました。
やはり、私の政治から「魅せる政治」を削ぎ取ってはいけなかったのです。
26歳の時の選挙、トップ当選する前日に「最後の演説」を阪急夙川駅の前でしたときのことを思い出しました。下手くそな演説に声を涸らす私を、通りがかりの人々は足を止めて眺めていました。夙川駅前のロータリーはだんだん黒山の人だかりになってきました。私の政治にみんなが期待してくれているということに、涙が止まらなくなりました。渾身の演説を終えてマイクを置いたときに、ロータリーは拍手に包まれました。あれがあって私の政治がある。私は、「魅せる政治」から始めたのでした。
そして、一日で新しいチラシのメインコピーを一気に書き上げました。
◆2007年1月号◆
8年前、私が初めて当選した選挙の投票率は45.29%でした。そして4年前、私にとっての2回目の選挙の投票率は41.36%でした。西宮の未来を決めるための大切な選挙に、半分以上の西宮市民が来てくれていないのです。それは、西宮の政治がそれほどまでに、西宮市民に期待されていないことの現れだと思っています。
−「41.36」という投票率の数字は、そのまま西宮の政治につけられた点数だと思ってやってきました。
どうして、西宮は政治をそれほどまでに信用してくれないのでしょうか。
―私にはしなければならないことがあります。
私がしなければならないこと。
私にしかできないこと。
私のしたいこと。
私はプロの政治家である以上、議会で闘い続けることこそが、最も「しなければならないこと」です。でも、その一方で、政治への希望を取り戻すことこそが、私のいちばん「したいこと」なのです。
だから、私は西宮にチラシを配り続けてきました。
「私のチラシを読んでください。いっしょに西宮の将来を考えてください。西宮の将来のために闘う政治があるということを知ってください。」
この一枚のチラシがあなたと出会い、あなたがもういちど政治への希望を取り戻してくれること。
それを私は諦めていないのです。
私にはわかっています。私は、8年前まで「政治を信用していなかった側」にいた感覚を、まだ忘れていません。じゅうぶんな研究に裏付けられた政策本位の政治。特定の団体の利益や私利私欲にとらわれない公正な政治。変革を拒む圧力に対して毅然と闘う政治。議会という閉鎖された空間からまちに出て伝え続ける政治。そんな政治を続けていれば、きっと西宮は政治への希望をもういちど取り戻すはずだと信じて、このまちで、8年間政治に取り組んできました。
破綻寸前の西宮の財政を救わなくてはなりません。無駄の多い行政のシステムを効率化しなくてはなりません。看板倒れの文教都市を復興しなくてはなりません。改革を拒み、既得権にしがみつく抵抗勢力と闘わなくてはなりません。そのためには、西宮を救うための政策を創り、議会という場を通じて必ず実現させなければいけません。一歩でも前へ、西宮を進めなければなりません。
西宮であたらしい政治を実現するために、議会で闘い続けること。それが、この西宮で8年間、プロの政治家として生きてきた私のしなければならないことなのです。
―私にしかできないことがあります。
西宮に未来を描くためには、特定の利害に振り回されてはなりません。そのために私は、政治家になって以来、どんな団体の支援も受けず、一銭の寄付も受けずに、議員活動をしてきました。私が責任を負うべきは、特定の個人ではなく、ただ「西宮の未来」です。だから私は、誰も恐れることなく、誰にも媚びることなく、西宮の未来だけを考えて、自由に政策を判断することができます。
どのような圧力にも屈することなく、良心とビジョンのみに遵って政治を行うこと。それが、この8年間、西宮全体に対して政治をおこなってきた私にしかできないことなのです。
―私にはしたいことがあります。
それは、西宮の政治をみんなで変えることです。前に書いた「私のしなければならないこと」を西宮47万人全員でやりたいのです。
西宮はきっと、これまで政治に裏切られ続けてきたのでしょう。だから、政治家である私が「西宮の政治を変えよう」と呼びかけても、簡単には信用してくれないのでしょう。
でも、西宮はあなたのまちです。あなたが愛する人と暮らしてきたまちであり、あなたが子どもたちと暮らしていくまちです。西宮はみんなのまちなのです。だから、この愛しいまちの未来を、47万人ひとりひとりが考えるような政治を、私は諦めたくないのです。たとえ、いまの西宮の政治がそうでなくても。
西宮のみんながこのまちの政治に帰ってきてくれることを信じて、私はこのチラシを配ります。「政治に裏切られ続けてきた西宮」にあたらしい政治を伝えるために配ります。この一枚のチラシがあなたと出会って、あなたに、西宮の政治への希望をもういちど取り戻させてくれることを信じて。
それが「この人生を西宮の未来のために使います」と8年前に宣誓した私が、人生を賭けてやりたいことなのです。
このチラシが刷り上がって届く直前の1月13日に、新しいメンバーも加えて、今村組の決起集会を行いました。
私の政治にかける想い。
私の今村組への想い。
自分にとってのこの選挙の位置づけ。
トップ当選を奪回するという明確な目標。
なぜトップ当選を奪回しなければいけないのか。
西宮での政治・今回の選挙を通じて、私の創りたい世の中とは何なのか。
そして、「だからともに闘い抜いて欲しい」と言いました。
それは「今村のため」ではなく、「日本のあしたのため」に。
この日を境に今村組は3カ月半息継ぎなしの戦争に突入しました。昨夏にノウハウをためていた今村組のポスティングは、さらに効率化されました。
■3■すべては西宮のあしたのために。
選挙を通じて「2号チラシ」とみんなで呼んだこの1月号は、自分の政治の原点に返るようなチラシになりました。独りよがりな「私は○○な政治家だ」のコンフェッションにとどまらず、西宮に対して「みんなで創るあらまほしき政治」を詠うこのチラシは、前号とは違った明るい、夢のある雰囲気になりました。それのせいか、前回とは較べものにならないほどの大反響がありました。駅で配っていても「ポストに入れてくれていたやつ、読んだよ」と笑顔で声をかけてもらうことが多くなりました。特に目立ったのは、これまでは少なかった高齢者からのエールでした。
「小さい字のチラシですが、天眼鏡で隅まで読みました」
好意的なリアクションはみんなをさらにモチベートし、このチラシによる西宮制圧もひと月かからずに終了しました。次には、「政策重視」を訴える「3号チラシ」を印刷、続けて市内に配りました。
◆2007年2月号◆
政治家なんて誰でも同じ、でしょうか。
政治家の政策なんて信じてもらえない。と、ほとんどの政治家が諦めているんでしょう。
「どうせ政策なんて信じてもらえない」と諦めた政治家たちは、まじめに政策を創ることも、伝えることもしなくなりました。そうして、きれいごとばかりの"政策まがいのモノ"が選挙の前だけまちに溢れるようになりました。「私は教育と福祉と環境、そしてまちづくり、それに商店街の活性化をがんばります!」 何をどうがんばるのよ…。
「○○やります」って簡単に言うけれど、政治家が自分のお金でやるわけではありません。税金です。それなら、そのお金をどうやって捻出するのかも考えなければいけません。ほとんどの政治家は、「そんな面倒なことを考えたって、どうせ政策の中身なんて有権者にはわからない」と思って、政策を捨て、"政策まがいのモノ"に走ったのでしょう。
私はこの8年間、西宮で政策を創り、政策を伝え、政策を実現するために闘ってきました。そして、まちからの反応によって、私は「西宮は政策を期待している」と確信するようになりました。私の政策は、どこに出しても恥ずかしくない、私の政治活動の結晶です。その政策の一部を、このチラシに載せて、西宮に飛ばします。
ほんものの政策を期待している西宮に。
新聞に載っている政治は、いつも国会のことです。あなたにとっていちばん身近なはずの市議会のことなんて、どこを探しても載っていません。だからでしょうか、こういうことをよく言われます。
「市議会議員なんて誰がやってもいっしょだろ?」
「市議会なんてそんな大事なことを決めるわけじゃないだろ?」でも、その市議会で決めているのは、あなたが住む西宮のことです。あなたの納めた税金の使いかたを決めているのです。あなたの子どもたちの教育のありかたを決めているのです。あなたのまちの福祉を、環境を、決めているのです。
年に四回開かれる議会では、あなたの生活に直結することが議論され、決められているのです。
あなたが「市議会なんて」と思われるのもしかたのないことかもしれません。選挙のときにしか姿を見せない政治家は、拡声器で名前ばかり連呼しています。そこに政策はありません。
一方で、私の所属する蒼志会は年に四回、政策を詳細に書いた活動報告を発行し、全戸配布を続けてきました。議会の活動と政策を伝えるために、私たちは行動を続けてきました。
政治家は、有権者の信託を受けて政策を行う職業です。だから、政治家は政策で判断されるべきだと思っています。あなたの選んだ政治家は、4年間どんな政策を行ったのでしょうか。たくさんの大切な議題が市議会で検討され、あるものは賛成多数で採択され、あるものは賛成少数で否決されていきました。
市議会議員なんて誰がやっても同じ、なのでしょうか。
裏面にびっしりと詳しく政策を書いた「3号チラシ(2月号)」も、2号同様たいへんな反響をいただきました。
半年前に立てた選挙までの計画ではポスティングは西宮に3周する予定だったので、この号が選挙直前号になるはずだったのですが、今村組のポスティングは当初の予定を遙かに上回る速度で進んでいたため、急遽、予定になかった「4号チラシ(3月号)」まで印刷されることになりました。
◆2007年3月号◆
すべては西宮の未来のために。
−西宮を愛する人には、いまの子どもたちが二十年後に愛することができる西宮を創る使命があります。
あなたはきっと西宮を愛していることでしょう。震災後に39万人に落ち込んだ人口は47万人を超えるまでになりました。それだけこの西宮が魅力的なまちだということです。
しかし、二十年後も西宮は愛されるまちであり続けるでしょうか。いまの子どもたちも、あなたと同じように西宮を愛するでしょうか。
私の提案する政策にはひとつの共通点があります。税金の使いかたを根本的に考え直して、これ以上将来に「借金」を残さないこと。公教育の質を高めて、未来の西宮を創る人材を育てること。西宮の環境と開発の折り合いをつけること。それらの政策は、すべて、西宮の未来のための政策なのです。
六甲山は、近世の乱伐により、明治の中頃までほとんど草木のない山でした。植林がはじめられたのは明治35年。それから100年かけて植林をした結果がいまの六甲山の姿なのです。いま私たちがあたりまえのように享受しているものは、先人たちの「未来への想い」の結晶です。
私たちは、西宮が愛されるまちであり続けるために行動をおこなさなくてはなりません。だから、私は「未来への想い」を、政策という結晶にし続けているのです。
そしてあなたも、あなたの「未来への想い」を、投票に行くことによって結晶にして欲しいのです。
すべては西宮の未来のために。
今村組の圧倒的な活動は選挙まで1月を切っても息切れすることなく続きました。そして、私のテンションと体力も。それは、これまでの鍛錬の賜物といえるものでした。
西宮市内に、予定より1周多い、4周分のポスティングを完了させ、さらに余ったチラシで5周目のポスティングを開始しました。この半年で4種のチラシを20万部ずつ刷ったのですが、そのチラシを売り切る勢いでした。
(2007年4月2日の日記より)
ご心配いただいておりますが。
思えば、松の内開けて以来、一日の休みもなく、タフな仕事を毎日やっているわけですが、からだの調子も大過なく。
みなさまには「おからだだけは」とお声おかけいただくのは大変ありがたいですが、おかげさまで健康です。
たぶん、人生でいまがいちばん体力が充実しています。早寝早起き。適量でバランスの良い食事。規則正しい生活。禁酒。三ヶ月で8kg絞れた身体は、あと二十日は充分もちそうです。
精神的にも大変安定しております。四年前を思い返せば、この頃はかなり苛つきながら、そして、異常なまでに自分を鼓舞しながら、疲れきった身体と精神に鞭うちながら動いていた気がします。いま思えば、痛々しいほどに。
いまは、そのようなことはありません。年が明けて以来、ただただ淡々と、目標を達成するためにやるべき仕事をやり続ける日々です。過度の興奮も、緊張も、そして苛立ちも不安もなく。毎日やるべきことをやるのに、それらは必要のない、削り去られるべき無駄なものたちなのです。
■4■その勝利は47万西宮に捧げよう。
県議会議員の選挙が終わると、いよいよ投票まで2週間です。このタイミングから、シボレーにアンプとスピーカーを搭載して、市内の街頭宣伝を開始しました。
80万枚のポスティングによって塗りつぶされた西宮への、こちらからのリーチ。チラシの次は、私が西宮に詠う姿を見てもらって、メッセージがほんものであることを感じてもらう必要がありました。
私の選挙では、直前のポスティングと街頭演説以外の一切の活動を行いません。名前を連呼しながら街を練り歩いたり、自転車に乗って手を振りながら走ったり。政策も哲学も伝えることのできない、これまでの選挙活動に見られるあらゆる滑稽な活動は、私の選挙には不要なものです。不要なものには一切パワーもお金もかけません。「日本のあしたのため」に私と活動をしている今村組に、哲学の感じられない活動をさせるわけにはいかないのです。
事務所も構えず挨拶回りもしないのは、47万西宮に平等にリーチするため。他の政党の看板が掛かっていてもポスティング対象です。それは、彼らを、彼らの知らなかった私のあたらしい政治で啓蒙するためなのです。
私は、西宮への心からのメッセージを高らかに詠いました。今村組は、私の演説を誇らしげに聴きながら、笑顔でチラシを配りました。
(2007年4月2日の日記より)
ただただありがたいのは、まちのこえ。
私は自分の就職活動のために毎日まちを歩いているわけではない。私は、西宮を、政治を、変えるために動いているのです。ただただ勝利をめざして。
それは、今村岳司のための勝利などではなく、47万西宮に捧げるべき勝利です。
8年前、不安しかなかった26歳の今村岳司の掲げていた「みんなが選挙に行きたくなるような政治がしたい」ということば。今年の正月に立ち戻ったのは、私の政治の原点であるこのことばでした。
選挙における自分の当落。4年前はそれだけでした。自分の4年間しかみていませんでした。でも、私の政治活動は、そんなちいさなもののために使い切ってしまってはいけないのです。
なぜこれほどまでにたくさんの人が私のチラシにメールをくれるのか。それは、「今村を就職させるため」などではないはずです。愛する西宮の未来への憂いや不安や夢や希望ゆえのことのはずなのです。
私の政治活動は、西宮の未来のためにあります。
それを判断すべき指標は「当落線を私が超えるか」などではなく、前回41%だった投票率の数字がどうなるのか、なのです。
あたらしい住民の割合が増える西宮。政治の側からまちに語りかけることをしなければ、地方選挙の投票率などは、ただただ下がる一方のはずなのです。
それを止めたいのです。あたらしい西宮が、ほんものの政治が西宮に咲き始めたことに気付き、それを歓び、ほんものの政治を自分の手で取り戻すこと。
改めて。
私は、圧倒的勝利のために、これからの二十日間を戦い抜くのです。私の食いぶちのためだけなら、ささやかな当落線上の勝利で結構。でも、私の求める勝利は、そのまま47万西宮に捧げ、47万西宮の勝利とするための勝利なのです。
その勝利は、いったん私が代わりに授かるに過ぎません。だから、圧倒的勝利が必要なのです。47万西宮で祝って余りある勝利が。
西宮の勝利のために、私は、あしたも、みんなが選挙に行きたくなるような政治をする。
公示日、近所の公園で出陣式をしました。これまで半年間、共に闘ってきた仲間を前に、私は話しました。すべてを締めくくる6日間を前に、彼らは誇りに満ちた顔をしていました。
ここまで私たちはこれ以上ない活動をしてきた。いまこの時点で、やり残したことは一切ない。それどころか、半年前にやりたいと思っていた行動目標はすべて上回る達成をして、今日を迎えている。
よく「最後まで気を引き締めて」とか言うが、私たちにそのようなことばは必要ない。我々はすでに勝利に値する活動を積み重ねてきたし、そもそも今村組に油断や手抜きは存在しない。
「最後のお願い」など我々には必要ない。今村岳司は西宮にお願いして投票してもらうのではない。西宮が未来のために今村岳司を選ぶのだ。だから、頭を下げる必要もなければ、悲壮感も必要ない。最後まで我々は笑顔で闘い切ろう。
必要なのは圧倒的な勝利だ。絶対にトップ当選が必要だ。なぜなら、我々はそれに値する活動をしてきたからだ。今村岳司のためにトップ当選が必要なのではない。最強今村組にはそれに相応しい勝利が必要なのだ。そして、我々全員で勝ち取るべきその勝利はそのまま西宮に捧げよう。我々をトップ当選に選ぶことこそが、西宮市民の勝利だからだ。
さあ、最後まで闘い抜こう。
10時から20時まで1カ所20分の演説をやり続けました。することはただただ演説のみ。街宣車の名前連呼も一切なし。それでは何も伝えられないし、何より迷惑だからです。
演説の場所取りをする先導車、街宣車、スタッフを乗せた車の3台で西宮市内を走り回りました。全メンバーの無駄のない迅速な行動。それぞれがこれまでの今村組の活動で一度は「司令官」を経験しているため、すべてのことがスムーズに動きました。4年前の選挙を知るメンバー(もちろん現在は社会人)も次々と駆けつけてくれましたが、彼らが舌を巻いたのは、現在の今村組スタッフたちの機動的な行動でした。
演説では、一切「お願い」もせず、それどころか「アピール」すらしませんでした。ただただ言い続けたのは「投票に行ってくれ!」ということだけ。真の西宮の勝利のためには、西宮が、自分たちで自分たちの政治を創ったという結果が必要だったからです。
連日選挙となれば、政治家はみんなにお願いをしています。「最後のお願いに上がりました」と言いながら、「清き一票」や「厚いご支援」をお願いしています。選挙カーから騒音を撒き散らしながら。しかし、私はここで騒音を撒き散らしながら自分の就職活動をしているわけではない。私は明日の政治を創るために、明日の政治を作る主体であるあなたたちにたったひとつのことをお願いしているのです。だから、私がみんなにお願いしているもの、それは決して「清き一票」などではない。「絶対に棄権せずに投票に行って欲しい」。たったひとつ、このことだけが、みんなへのお願いなのです。
西宮を愛しているのなら必ず投票に行って欲しい。今の選挙では有権者の3分の1しか選挙に行っていない。そして、選挙に行っている人たちの半分以上はいわゆる「利益団体の組織票」です。これでは、私たちが愛している西宮のことを、一部の偏った意見が決めていくことになる。
必要なのは、西宮を愛し、普通にこのまちで生きているあなたの投票行為だ。今村に投票するべきかどうかなど、みなさんがそれぞれに決めればいい。あなたたちの西宮の未来を創る政治家が誰かは、みなさんがそれぞれに決めればいいからだ。
特にこどものいる人は絶対に棄権してはいけない。子どもに投票する権利がないからだ。10年後の西宮の主役は彼らであるにもかかわらず、だ。10年後の西宮を創るのが今の政治なのだから、子どものために、今の西宮に相応しい政治を創ってあげて欲しい。
投票に行って欲しい。私がやっている選挙活動は、西宮の将来のための行為だ。だから、私は圧倒的に勝利するだろう、そして、その勝利を西宮に捧げよう。
もう一度言う。必ず投票に行って欲しい。
ただただ投票に行くことだけを訴える街頭演説は2週間続きました。1日20回の演説。投票を呼びかける私のことばに駅前の人々は立ち止まり、私がマイクを置くと、そこかしこから拍手が起こりました。
4月22日の20時、最後の演説をJR西ノ宮駅前で終えたとき、今村組の長い長い闘いは終わりました。何もやり残しはありませんでした。今村組には感極まって泣き出す者もいましたが、私は自分のやるべきことをただやり終えて、なんだか清々しいような気持ちでした。
■5■5,187と40.16
翌4月23日の開票は、昨日までの清々しい不安のない状況とはうってかわり、4年前の選挙では考えられないほどの緊張を持って迎えていました。
少なくとも当選することくらいはわかっていました。でも、トップ当選できるかどうかが心配だったのです。4年前の開票で2位だったときには、意外に自分では「ま、いっか。上位当選だし」と思っていたのです。しかし、今回は、何が何でもトップ当選でなければいけないと思っていました。
それは、私個人ではなく、今村組で勝ち取るべき栄誉だという自覚があったからです。4年前はその感覚がなかったから平気で「2位」という結果を受け入れたのです。しかし、今回の私には、これほどの活動をしてきた今村組の愛する子どもたちに「トップ当選」という栄誉を授けられないとしたら、それは、親としての私はどうすればいいのだろう、という不安がありました。彼らに一生大切にできる勝利という経験を味わわせなければいけない。ただただその不安で開票の経過を見ていました。
結果は5187票を獲得してのトップ当選でした。勝利を喜び合う子どもたち。嬉しいというより、ほっとしたというのが、あのときの感想でした。極度の緊張が解けて、私は挨拶もまともにできない状態でした。
彼らの半年間の闘いは、圧倒的勝利で幕を閉じました。しかし、もう一つのテーマであった「投票率」に関しては、勝利を得ることができませんでした。前回の41.36%をさらに下回る40.16%という投票率は、過去最低であるどころか、近隣でも稀に見る低い投票率となりました。
今村組から西宮に捧げるべき勝利として想定していたものは「今村岳司のトップ当選」と「(少なくとも)前回以上の投票率」でした。今回の選挙では、その半分しか手に入れることはできませんでした。それは、これからの3期目の政治活動で西宮に授けるべき課題として残りました。
◆長い闘いを終え、疲れ切った身体と精神を休め、5月から活動を再開しました。議会の顔ぶれは変わり、蒼志会は新しい仲間を加えて8人になりました。私は3期目の議員として、いよいよ西宮市議会を変えていけるポジションにつきました。
100平方キロメートル、47万人が住む西宮に80万枚のチラシを配った今村組も、卒業生を送り出して、メンバーもずいぶん若返りました。
今村岳司も、蒼志会も、今村組も、いま、あたらしいスタートに立ったところなのです。
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