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今村岳司/いまむらたけし】
imamura

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今村岳司の歴史

 ●神戸大学教育学部附属住吉小学校

 ちなみに、小学校入学以前の記憶は、ほんの欠片すら残っていません。
 身体も小さくて、給食を食べるのが遅くて、運動のできない子でした。勉強が特にできるわけでもなく、ただ、手先は器用で日曜大工などが得意でした。『太陽に吠えろ』と『007』は、低学年のころから好きだった気がします。最も最初の「なりたいもの」は、刑事だった気がします。『太陽に吠えろ』のチームに入りたいと思っていました。七曲署で、ボス(裕次郎)の下でかっこいいあだ名をつけてもらって活躍したいと思っていました。

 小学校3・4年のときの担任の先生が大好きでした。ある日、その先生の授業で自分の下の名前の謂われを調べてくるように、というのがありました。それで初めて「岳司」の謂われを知りました。でも、それより興味があったのは、先生の下の名前「弘」の謂われでした。先生は「弘」の謂われを問う私にこう答えました。「弘法大師という昔のえらい坊さんみたいになれ、という意味だ。」私は図書館に行って「弘法大師」に関連する本を借りて読みまくりました。弘法大師から入って真言密教関連、仏教関連、そしてそこから哲学関連などを読んでいました。小遣いが貯まれば奈良や京都の寺や美術館を回って、仏像や仏画を見て回っていました。あとは、祖父の家にあった『史記』を読んで司馬遷と李陵に憧れたりしました。おそらく人生でいちばん本を読んだのは、小学生のころだと思います。

 それだけきくと変態ですが、基本は普通にガンダムが好きな少年でした。
 なよなよした連邦軍の連中や、いかにもヒーローモノなかたちをした連邦のモビルスーツは興味の対象外で、青いグフに乗った漢ランバ・ラル大尉が憧れでした。
 小学校高学年になると、インディ・ジョーンズに憧れて、一時期は考古学者になりたいと思っていました。

 友達がするからという理由で受験をしたいと思いましたが、成績は散々で、小学校5年のおわり頃に浜学園に入塾したころは、えらく下のほうのクラスだった気がします。
 国語はできた気がします。
 いま思えばよかったな、と思うのは、難しくて内容のすべてが理解できなくてもとにかく読むことだったと思います。中学年くらいから挑戦し続けていたのは漢文と読み下し文と現代訳が並べて書かれていた『史記』でした。
 あと、漢和辞典は、買ったときにまず全部読みました。それで、同じと思っていた意味の感じにもいろいろあることや、いろいろな熟語を知りました。
 ただ、算数と理科は散々でした。

●甲陽学院中学校・高等学校

 入学してしばらくして近所のワルにもらったカセットテープでヘヴィメタルに目覚めました。アイアン・メイデンやジューダス・プリーストから入りました。小遣いのすべては、レンタルレコードに費やされました。

 RATTの『You're in love』のビデオを見て、ギターを欲しいと思いました。譜面が読めたので、ギターは買ってすぐに弾けました。それから、月刊ヤングギターを愛読し、部屋に籠もってギターの練習ばかりしていました。最初のアイドルは、マイケル・シェンカーや、ジェイク・E・リー(OZZYのバンド)や、ジョン・サイクス(白蛇)や、イングヴェイ・マルムスティーンや、エイドリアン・ヴァンデンバーグでした。弾く姿がかっこいい人が好きでした。いくらテクニカルでも大人しく弾く人はロッカーとしていまいちでした。運指練習と同じくらい、姿見の前で弾くカッコの練習を重視していました。バンドは、モトリークルーやAC/DCが好きでした。
 中学3年のときに、ガンズ・アンド・ローゼズの『Welcome to the jungle』のビデオを見て、ギタリストになろうと決めました。目標は、ガンズ加入。スラッシュ(リードギター)とツインリードギターになりたいと思っていました。

 高校に入ってからは長髪にしてバンドを組んでライブをするようになりました。早弾きができるのと、曲を憶えてくるのが早いので、いろんなバンドの助っ人をやりました。註文が多かったのは、ガンズ・アンド・ローゼズと日本のDEAD ENDやANTHEMやZIGGYでした。高3くらいになればV系のハシリでD'ERLANGERやXもやりました。
 高校くらいからギターのプレイのスタイルはいままで余り変わっていません。完全コピーをしまくったDEAD ENDの足立祐二さんと、OZZYのバンドのザック・ワイルドと、GNRのスラッシュを足して3で割ったプレイです。高校の頃はそれにイングヴェイ・マルムスティーン風味がかってた感じです。そして、高校の頃はまだまだ弾き方も粗かったので、ガスタンクのTATSUっぽい感じになっていました。(この段落はほんとに業界外の人が読んだら何も意味わかりませんね。。。)
 バンドには金がかかるので、アルバイトに明け暮れていました。夏休みと冬休みは、1年から3年の夏まで、配達所の内勤をしていました。そのときに西宮の町名はほとんど憶えました。学期中も、ときには学校を休んで建設補助などの日雇いをしていました。
 サボりはどんどんエスカレートし、学校に行っても部室でタバコを吸いながらギターの練習をしていたりすることも増えました。雨が降ったら学校に行くのが面倒なので麻雀をしていることも増えました。といっても別にグレているわけではなく、好きな授業には出て、そうでもない授業はサボって、バイトとバンドに明け暮れて、いわゆる大学生のような生活をする高校生でした。
 ギタリストになろうと思っていたので、大学のことはあんまりちゃんと考えていませんでした。経済状況からして、私学の受験や浪人はだめだろうから、国立を受けるだけ受けて合格したなら行けばいいし、合格しないならバイトをしながらバンドをしようと漠然と思っていました。英語と世界史の成績はよかったですが、数学が末期的でした。理科は何も意味がわかりませんでした。

●京都大学法学部と進学教室浜学園とバンド生活

 出席して1日目の語学で、「もうここにはこないほうがいいな」と思いました。いまでこそ京都大学にもおもしろい人たちもいるんでしょうが、いまだにアタマの中は模擬試験ばかり、みたいな、受験勉強をみっちりしてきた秀才君たちは、どうも男子進学校で遊びながら受験をしてきた私からすれば、話の合う感じのしない人たちでした。どういう流れか細かいことは憶えていませんが、クラスに友達を作ることを諦めて食堂にいたときに、いきなり「なあ、学校、おもんなくない?」と声をかけてきた経済学部の1年とだけなかよくなれたのを憶えています。彼は現在、弁護士。
 軽音楽サークル的なものにも顔を出してみましたが、高校のときにやっていた仲間たちと較べても演奏レベルは低いし、なによりも「楽器をまじめに弾いています」というだけでぜんぜんロックっぽくない、ようはぜんぜんカッコよくない彼らとも、共通言語は見いだせませんでした。
 もとよりそれほど大学進学に意義を感じていたわけではないので、もういかなくてもいいか、と思いました。高校と較べてもサボるのは全く問題なさそうでしたし。

<追々加筆していきます。>