• 2018-01-08
    • 市長として出席させてもらう、最後の成人式でした。
  • 2018-01-05
    • きのうの報道についての会見をおこないました。
  • 2018-01-04
    • 市役所仕事始式で、今年5月での市長引退を表明しました。

2018-01-04

市役所仕事始式で、今年5月での市長引退を表明しました。

<全文>

あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。

ここで年頭の挨拶をさせていただくのも4回目になりました。
私はここで、市長としての私がこの5月で引退することを表明させていただきます。
4月の市長選挙には、私は立候補しません。
私は以前より、この話は、家族や友人を除いては、
西宮の困難に対して私とともに立ち向かってくれたみなさんにこそ、
最初にすべきと考えていました。
苦楽を共にしたみなさんがこの報せを
マスコミや議会中継を通じて聴くということはあってはならないと思っていました。

昨年まではここで、一年間の市政運営についての話をさせていただきました。
きょうはここで、これまでの西宮市政とこれからの西宮市政についての話を
させていただきたいと思います。

  ■

平成7年に阪神大震災に見舞われた西宮は、
第10代馬場市長とともに復興を成し遂げました。
ここにいる全職員は、全員が年次から考えても
震災復興という一大プロジェクトに関わった職員ですから、
その困難と達成についてはここで語るまでもないでしょう。
私が平成11年に26歳で市議会議員になったときも馬場市長でした。

私が市長になって半年で馬場市長は引退されました。
都市としての機能を完全に回復し、驚くべき短期間で震災を過去のものとした西宮は、
ただちに、文教住宅都市という都市ブランドを再定義するという大きな仕事・
復興の先の未来を見据えた取り組みにとりかかるべきでした。
それは明確に政治の仕事でした。
しかし、西宮の政治は迷走を始めました。

いっぽう、
更地の上にキレイに整えられた街が開発業者にとって魅力的だったのは当然です。
不動産事業者は次々と物件を開発していきました。
西宮市民は笑顔を取り戻してあたらしい生活を始め、
西宮の企業は逞しくあらたな挑戦を始めました。
平成17年に芸文センター、平成20年に阪急西宮ガーデンズがオープンし、
西宮は気がつけば「住みたいまちナンバー1」になっていました。

復興した西宮はどんなまちとして定義されていくべきなのか、
ともに復興を成し遂げた西宮市民と、どんなまちを造っていくのか、
あたらしく西宮に来てくれた西宮市民に、どんなまちを提案するのか。
西宮の政治はそれに何も答えを出せないまま、西宮は発展してきました。

西宮市役所もリーダーシップ不在だからといって止まるわけにはいきません。
日々市民に接している職員は、責任を政治に転嫁できません。
政治が迷走するなかで、バックアップの受けられない現場で、
みなさんは、ただただ課題解決に邁進してきました。

  ■

その情況を、私は政治家としてずっと見てきました。
私が政治を志したのは、震災で家を失い、
西宮のために働きたいと思ったからです。
その政治がこれからの政治のために何も為そうとしない情況に苦しみ続けました。
市議会議員という立場からでもできることはないかとも考えました。

結果的には、
結局ふさわしい人物が市長を務めなければ根本的な解決はないと思い知りました。
あの困難において、市議会議員はあまりに無力でした。
西宮にゆかりのある優秀な経営者に、
西宮市長となって西宮を救ってほしいと、口説きにすらいきました。
自らが市長となって西宮を救うしかないと結論したのは、7年ほど前のことでした。

  ■
文教住宅都市という都市目標を再定義し、それにふさわしい経営を恢復すること。
その文教住宅都市を考えうる限りの未来にまで持続させるための基礎を築くこと。
震災復興のあと15年に亘る政治的迷走で積みあげられたツケを解消すること。
西宮の政治に期待しなくなって久しい西宮市民をもういちど西宮市政に繋ぎ戻すこと。
それらを成し遂げるために、閉塞感漂う西宮市役所を再建すること。
私は自分の政治家としての死に場所をそこに見つけました。

  ■
乾坤一擲の市長選に勝利し、
みなさんとあたらしい西宮市役所を造るという仕事が始まりました。
そこから2期8年くらいでやらなければならいことをやり切ろうと思っていました。

しかし、その翌年の市議選を経た情況を受けて、
2期8年と悠長なことは言っていられない、4年でかたをつける、と、目標を修正しました。

  ■

若いころ尊敬していたある政治家は、
私に「最低2期はやりなさい」と言いました。
彼になぜ2期かと問うたとき、彼はこう応えました。

有権者の信頼を得るのに1期はかかるから
自分の色は2期目に入らないと出せない。
職員の信頼を得るのに1期はかかるから
役所は2期目に入らないと動かない。

市長選から1年半経った時点で、
私はすでに市民の確かな信頼を実感していました。
そもそも私は自分の色を出したいと思って市長を志したわけではありません。
西宮の政治の惨状を救うことが私のすべきことであって、
文教住宅都市西宮の忠実なシモベである私の出したい色は文教住宅都市色でした。

それに、私とみなさんとなら、4年でやり切れる。そう思いました。
私がみなさんの信頼を得たのではなく、
みなさんは文教住宅都市西宮を再建するという仕事に、もとより向かっていました。
私が市長として登庁した時点ですでに、
あたらしく始まる冒険に向けた心構えはできあがっていました。
私とみなさんは初めから同じ目標の下にあったのです。
私と西宮市役所には「2期」は長すぎると思いました。

  ■

そうと決まれば、
平成28年度の経営、平成29年度の経営、平成30年度の走りだし、
この3つの機会でそれぞれ何を為すのかを明確に心に決めました。
私は気が小さいのでその進捗が心配で、みなさんの尻をきつく叩いたこともありました。
でもいまこの平成30年の年初において私は、
私が市長のときに為すべきことは、
市長になった時点では想定しなかったレベルで達成されていると実感します。
ほんとうにみなさんのおかげです。

もとより行政経営にゴールはありません。
文教住宅都市西宮の完成は永遠にありません。
私は西宮の長い歴史の中のごく短い期間に責任を負っているにすぎません。
たまたま、西宮が非常な危機にあったときにその責任を負っただけです。

また、今村岳司一人にできることなどタカが知れているわけで、
私という要素一つ抜いたとしても、
それで4年前の情況に後戻りするような今の西宮市役所ではありません。

  ■

私は文教住宅都市という誇らしい都市目標を再定義し、
その都市目標に基づいたオリジナルな政策推進を行うことをみなさんに求めました。
国や県の方針に盲従したり、他市を横目で見ながら行ったりするような行政ではなく、
唯一無二の文教住宅都市政策を求めました。
私の思い入れや独善でやった施策など何一つありません。
すべては現在の文教住宅都市が求めた政策であり、
みなさんと方程式を解いて、自ずと導き出された施策です。
現在推進が始まっている政策施策をさらに発展させ、
現在みなさんと共に編集中の第5次総合計画をベースに行政経営が為されることで、
さらに文教住宅都市西宮はすばらしいまちとなることでしょう。

また、適性に応じた人事をおこなうことで閉塞感を打破し、
組織の機動性を向上させました。
もともと優秀で西宮に忠実で規律正しいみなさんに、
ふさわしく働いていただける組織にしただけです。
私のお気に入りで昇進させたり登用したりした人物は誰一人おりません。
すべては現在の文教住宅都市に必要な人事です。
さらには、人材採用の品質をさらに向上させました。
すでに能力の高い人材があふれていた若手職員に
ここ数年で採用した人材が加わり、
またこれからも採用に智慧と労力を惜しまないことで、
さらに西宮市役所は高い価値を創造できる組織となっていくでしょう。
今の西宮市役所はとても強い組織になりましたし、
西宮市政はこの4年で完全に復活したと思っています。

政治家の引退に遅過ぎるはあっても、早過ぎるはありません。
みなさんと共に植えた種が芽を出し木となり花を咲かせ、たわわに実を実らせるのは
いずれにしても私が市長でなくなった後になるはずでした。
それを同じ場所から眺めることを待ちたいというのは、政治家の独善です。
ましてや私の負った責任は、15年以上続いたこれまでの政治からの抜本的転換でした。
抜本的転換と、期待されるべき安定的な経営は別の政治家が担うべきです。
むしろ、いぜんの私は45歳になってまだ政治家をやっているとは
思っていませんでした。
役目を果たし切ったにもかかわらずその場を動かないと、
周りが見えなくなってしまいます。そうなる前に、
私は自分の責任を果たし切って、あと5ヶ月で市長を退任します。

  ■

これからの5ヶ月間、みなさんは私とやり残したことをやり切りましょう。
引退を決めた政治家に怖いものは何もありません。
まだ時間はありますので、みなさんがやるべきだと考えている挑戦は、
この5ヶ月で私を使ってやり切ってください。

そして、それより先には、いまの私には解決できない新しい課題も
次々と生まれてくることでしょう。
しかし、生まれ変わった今の西宮市役所なら、みなさんなら、
必ずその困難も乗り越えてくれると信じています。
みなさんは、職員として、震災後の瓦礫のまちで働き、
幹部として、15年以上続いた政治の迷走を4年で取り戻したのです。
自らが西宮市職員として幹部としてこれまでやってきたことに誇りを持ち、
その矜恃を以てさらに文教住宅都市西宮をさきわえさせてください。

  ■

個人的なことですが、
退任したあとは、政党や選挙とは、一生関わりを持つつもりはありません。
しかし、みなさんと守りぬいた文教住宅都市西宮を誰より愛し続けるでしょう。

これまでの私の人生は、ただただ西宮の政治に捧げました。
子供を設けることも、財産を持つことも、すべてそのために諦めました。
これからは自分のやらなければならないことだけではなく、
自分のやりたいことをゆっくり探したいと思います。

共に厳しい3年半に亘る挑戦を成し遂げてくれた西宮市職員のみなさまに、
心から感謝を申し上げて私の年頭の挨拶とします。

これから4ヶ月半、よろしくお願いします。

タイトル