• 2018-02-20
    • 【市長を辞職しました】
    • 【任期満了を待たずに辞職することについて】 
    • 【西宮市役所の幹部職員たちへ~ありがとう】
    • 【すべての西宮市職員へ~ありがとう】
    • 【この数年で入庁した職員と、この四月に入庁する新職員たちへ~ありがとう】
    • 【西宮の先生たちへ~ありがとう】
    • 【西宮の消防職員たちへ~ありがとう】
    • 【西宮の地域ボランティアのみなさんへ~ありがとう】
    • 【政治家今村岳司を支援し続けてくれた西宮市民へ~ありがとう】
    • 【政治家今村岳司とともに戦い続けた「今村組」へ~ありがとう】
    • 【最後に】

2018-02-20

【市長を辞職しました】

 説明責任を全うしたいので、かなりの長文です。

・任期満了を待たずに辞職することについて
・西宮市役所の幹部職員たちへ~ありがとう
・すべての西宮市職員へ~ありがとう
・この数年で入庁した職員と、この四月に入庁する新職員たちへ~ありがとう
・西宮の先生たちへ~ありがとう
・西宮の消防職員たちへ~ありがとう
・西宮の地域ボランティアのみなさんへ~ありがとう
・政治家今村岳司を支援し続けてくれた西宮市民へ~ありがとう
・政治家今村岳司とともに戦い続けた「今村組」へ~ありがとう
・最後に

 私、今村岳司は、西宮市長を辞職しました。

 震災後の西宮は、驚くべき短期間で復興しました。西宮の政治はそこで文教住宅都市の意味を再定義するという、復興の先を見据えた取り組みにとりかかるべきでした。しかし、西宮がどんどん発展していくいっぽうで、政治は西宮の未来について何も答えを出せずにいました。
 その情況を、私は政治家として見てきました。私が政治を志したのは、震災で家を失い、西宮のために働きたいと思ったからです。その政治の不甲斐なさに苦しみ続けました。そして私は、自らが市長となって西宮を救うしかないと覚悟を決めました。
 私が市長となって四年、水を得た魚のような西宮市役所は次々と改革を成功させることができました。間違った方向に進んでいた種々の政策を巻き戻してゼロからやり直し、ずっと放置されていた多くの課題に取りかかりました。もっと時間がかかるかと思っていましたが、あたらしい市政を創ろうという市役所の士気は高く、市長二年目には一期で改革はやりきれると確信を得ていました。そのため、三年目と四年目にそれぞれ何をして改革を完成させるのかの計画を立て、一気にすべてやりきりました。
 もとより文教住宅都市西宮の完成は永遠になく、私は西宮の長い歴史の中のごく短い期間に責任を負ったにすぎません。抜本的改革と、安定的経営は別の政治家が担うべきです。想定以上の改革を成功させた西宮市役所をこれまでと変わらず信頼していただければと思います。
 そもそも、文教住宅都市西宮にふさわしい政治を取り戻したのは、私ではなく賢明な選択をした西宮市民でした。私を市長にしてまちを救ったみなさんは、善き市民としての達成をあらためて誇りにしていただきたいと思います。歴史の息づく文化の薫り高いまち、高い品質の教育のあるまち、美しい自然と街並みのある子供の帰ってくるまち。みなさんが守った文教住宅都市西宮はここからやっと再出発です。
 惜しんでいただく声を数え切れないくらいいただきましたが、みなさまに十九年支えていただいた政治家今村岳司は、使命を終えましたので引退いたします。政治家の引退に遅過ぎはあっても、早過ぎはありません。自らの使命を見つけることができ、何にも媚びることなくその達成のために闘いきれたのは、政治家冥利に尽きます。誇らしい政治家人生を与えていただいたみなさまに、心より感謝申しあげます。
 これまでほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。



【任期満了を待たずに辞職することについて】 


 ほんらいの任期は五月中旬までありましたが、三ヶ月を残しての辞職することにしました。本日の議会で私の辞職が承認されたことを以てこのコメントを発表しています。
 西宮市議会が、私とマスコミの騒動についての決議や私の退職金を減額するという議案を提案する予定にしていたことが辞職の理由です。マスコミと同じレベルにまで堕ちた西宮市議会に失望しましたので、最後の定例会を前に辞職することを決めていました。
 記者に暴言を吐いたから辞職とかその責任をとって辞職とかではまったくありません。その件についてはこちらにも非があると思っていましたのでとうに謝罪はしています。先方にも重大な権利侵害がありましたし、マスコミは騒いでいましたがそもそも些末な問題です。直後の記者会見でもこの件を理由にした辞職はないのかとある記者に言われて目が点になりました。記者とはそれほどまでに守られる存在だと思い上がっているのか、と。もちろん辞職するつもりは毛頭ないと明言しました。そして、直後の議会運営委員会でこの件の説明をしたじてんでは、特に多勢の議員が私の辞職を求めていたわけではありませんでした。そこからひと月でのこの議会の現状はあきらかに「今村に罰を与えろ」というマスコミに同調もしくは利用したもの、もしくは「今村に罰を与えないのであれば次の矛先は議会かもしれないぞ」という圧力に屈したものと言えます。
 市政に瑕疵なく、罪を犯したりしたわけでもないのに、議会が私の退職金について議論することには、なんの道理もありません。そもそも市長と議会は対等ですので議会が市長に対して懲罰を行う立場にありません。議会事務局からもとうぜんこのように法律制度的にも問題があるという説得はあったようですが、それを圧してなおこのような議論が西宮市議会でまかり通りました。この議案が仮に提案されて可決されたとしても、法律的正当性を著しく欠きますので、私は訴訟によって結果を覆すことは容易でしょう。しかし、覆すことができるできないの問題ではありません。議会の中の一部勢力は、この情況をマスコミに報道させることで屈辱を私に与えさえすればよいのです。
 ほんとうに私に挑みたければ市長不信任を提案すればよいですし、私がそうしたように、直接自らが市長選挙に立候補して有権者に問えばよいのです。自らの覚悟を以て挑むことなく、自分は弾の当たらないところからマスコミをけしかけることによって攻撃しようという卑怯な行為です。
 マスコミを利用して卑怯な攻撃をするか、攻撃せよというマスコミの圧力におめおめと屈するか、そういう愚行を見て見ぬふりをするか。いまの西宮市議会には、住民と歴史に責任を負う政治家としての矜恃がありません。このような態度は法律的権限を扱う議会として恥ずべきものですし、文教住宅都市の政治にはふさわしくありません。任期の最後に彼らと西宮市政と無関係な事案について議論をすることは受け容れがたいため、辞職するものです。


 三月定例会に私がいなくても、副市長以下の西宮市役所でじゅうぶん回せます。新年度の予算案も構想もすべて作り上げておりますので、市政運営に影響はありません。ほんらいの任期は五月中旬までですが、どうせ三月は議会、四月は新年度当初で現場での引き継ぎや走り出しが中心ですので、例年、三月と四月は市長として生産的な仕事がほとんどない時期です。二月二十日に辞職するのも五月中旬に辞職するのも市政経営上の影響はほとんどありません。


 辞職した私のことを、西宮市議会やマスコミは「無責任に投げ出した」とか「退職金が惜しいのだ」などと貶めようとしたり「市役所から追い出したのは自分たちだ」と胸を張ってみせたり、もしくは「暴言を吐いて辞任に追い込まれた」などと見当外れのことを書いたり、どうぞ好きに話したり書いたりすれば良いでしょう。私は彼らの主張にはもはや関心がありません。マスコミは、市民に説明がないなどと言うでしょうが、これまで何度となく言ってきたように、公正な情報伝達が期待できないマスコミを通じて情報発信することは、市民が正確な情報を知る権利を著しく損ないますので、このように直接発信します。記者会見や取材対応などするつもりはいっさいありません。昨晩も今日もマスコミ関係者と思われる集団が私有地に侵入していることが防犯カメラに写っておりましたが、それについても警察に通報して対応してもらっています。私にある責任は社会に対して説明することであって、マスコミに記事造りの材料を提供することではありません。彼らは市民の知る権利を保障しようとしているのではなく、自らの持つ威力によって気にくわない者を攻撃したいだけなのです。一部議員やマスコミは自らの暴走によって四年かけてその信頼を著しく失墜させていきましたから、いまの西宮で相応の判断能力を持っている方なら、彼らの言うことを鵜呑みにするようなことはないでしょう。また、ここに私はすべてを語っているので、これ以上の情報公開はないはずです。
 ちなみに、法律も無視して著しい権利侵害をともなう取材行為をおこなったうえに謝罪もなく、独善的な理屈で正当化し、さらには厚顔無恥にも西宮市に対して抗議書を送ってきた読売新聞に対しては、こちらからも抗議書を送り返しています。自分たちだけが社会常識の外にあると彼らは思い上がっているようですが、先進国となった現代の日本では、もう彼らの態度は通用しなくなっています。
 確かに彼らの挑発に乗ってしまったり、彼らに揚げ足をとられたりしてきたことは迂闊でした。しかし彼らを懐柔することではなく、西宮の課題解決が仕事ですから、彼らに配慮して仕事の内容を変えることはいっさいせずにきました。さらには、社会に対して「それでもマスコミを信用するのでしょうか」と問うこともまた、政治家としての使命だとも思ってやってきました。「彼らには常識が通用しないからうまくやり過ごすしかない」とか「彼らとやりあっても勝てないぞ」とか「彼らは必要悪だからじょうずに利用するのも手だ」とかいう人たちもいました。ただ、私は多くの人々の人権を踏みにじるマスコミに媚びるようなことは、社会正義を為すべき政治家としてやるべきではないと思っていましたし、彼らを利用するような醜い政治をやるために人生を賭けているわけではありませんでした。どれだけ攻撃に晒されても彼らに媚びない、そしていくら痛みを伴おうともそのすがたを発信し続けることで、マスコミとはどういうものか、多くの人に訴えることもできたと思っています。

 ところで、議会の中にも「いまの議会の態度は間違っている」と話す人もいました。ならばなぜ議会を構成する議員の一人として議会を糺そうとはしなかったのでしょうか。彼には賛成する権利も反対する権利も他の議員に働きかける権利もあったはずなのに。少なくとも、表面上は市議会全会一致で私に対する攻撃に賛成している状態でした。マスコミの中にも「マスコミの態度は間違っている」と話す人もいました。ならばなぜ報道にたずさわる一人として一部のマスコミの態度を糺そうとはしなかったのでしょうか。彼には記事を書く権利も記事を止める権利もあったはずなのに。読売新聞の取材行為の不当性と主張の独善性を厳しく批判する報道機関など、少なくとも私の知るかぎりは一つもありませんでした。それぞれの立場で果たすべき責任を果たさずに「私だけは愚者ではない」と主張するのは卑怯です。「間違っている」と思うならば、思うだけではなくその立場でできることに責任を持つべきで、それを全うしようとしないにもかかわらず自分だけを正当化しようとするのは卑怯な行為です。愚行に走るも、愚行に見て見ぬ振りをするも、同じと知るべきです。

 そもそも改革者として市長になった私は、歓喜の声に包まれ、花束を渡されて引退できるとは思っていませんでした。私は、社会をとりまくあらゆる旧弊、社会を善くすることに寄与しない勢力、そういったものと刺し違える覚悟を持って市長になったわけです。多くの市議会議員や政党に支援された現職を相手に選挙で勝って市長になったということは、西宮がそれを求めた結果だったはずなのです。市長就任いらい、あたらしい西宮に益をもたらさない者には断じて媚びずにこれまでやってきました。よって、このような辞職は想定外ではありません。
 いくら市議会議員やマスコミが私を貶めようとも、私と西宮市役所と西宮市民が四年間で成し遂げた改革と成果は誰にも侵すことはできません。彼ら以外の西宮は、その成果をじゅうぶんに理解しています。その意味で、任期満了を待たずに辞職することについての悔恨はありません。私はただただやり遂げた仕事への達成感と、共に闘った西宮市役所の仲間たちと西宮市民への感謝を胸に、ひとりで市役所の裏口から出て行きました。


 最後まで、両副市長や市長室や秘書課をはじめとする、けっして少なくない西宮市役所の優秀な職員たちに「西宮を善くすること」とは無関係の不毛な仕事で手を煩わせることになりました。西宮市議会やマスコミからの流れ弾は、彼らにもそうとう酷くあたりました。たいへん申し訳ないと思っています。また、これから五月までにお仕事をごいっしょする予定で私の先の日程を押さえてくれていた職員にもきょうで辞めることはずっと黙っていました。その仕事にことわりなく参加できなくなることを、たいへん申し訳ないと思っています。一連のことについて「こんなのおかしい!」と自分ごとのように怒ってくれていた職員もたくさんいましたが、先ほど書いたように、私には何の悔恨もありません。これからは、四年間で見違えるような組織になった西宮市役所で、くだらない政治から解き放たれて、これからも文教住宅都市のために仕事をしていただければと思います。ほんとうにありがとうございました。


 もうひとり。
 議会の中でも田中正剛議長だけには面倒をかけたと思っています。一方に愚かな市議会議員たちやマスコミ、一方に議長ご自身の理性と西宮のために仕事をする市当局。その板挟みでご苦労をかけました。彼は、西宮市議会のなかで、友人と呼べる唯一の政治家でした。この「定例会直前まで水面下で進行させたうえでの辞職」は、彼が私の誇りを守るために用意してくれた苦渋の選択肢でした。むしろ、私が辞職せずに不毛な議論が議会で展開されることになれば、田中議長に「愚かな議会の議長」という汚名を着せて嗤いものにしてしまうところでした。私が辞職したことで、もう面倒をかけることはなくなります。市長任期最後の議長が正剛さんでほんとうによかったです。ありがとう。



【西宮市役所の幹部職員たちへ~ありがとう】


 自分が市役所に市長として入るにあたって、まず市役所の幹部の信頼をどうやって勝ち取ったものか、と思っていました。主たる幹部たちよりもひとまわり若い新市長、これまで二十年以上続いた市役所出身者ではなく市役所を厳しく批判し続けてきた元市議会議員、しかも前市長を選挙で応援した人々から壮絶なネガティブキャンペーンを受けてきた候補者。幹部たちこそ不安だったかもしれないですが、私もみなさんに受け容れてもらえるかどうかが不安でした。
 市長はどこまでいっても経営者にすぎませんから、現場を預かる管理職たちが動かなければ市役所の政策はひとつも動きようがありません。じっくりと市役所幹部の信頼を得ていかないといけないし、それにはそうとうの時間を要するだろう、と思っていました。しかし現実は拍子抜けするようなものでした。
 みなさんは、私とともにあたらしい市政を創っていこう、必要な政策転換にどんどん挑戦していこうという躍動感や期待感に溢れていました。前市長による誤った政策判断と、無責任な政策課題の放置、すべてを変えてすべてをやり直そうというあたらしい挑戦への準備は調っていました。私がみなさんの信頼を得たとかではなく、みなさんはもとより西宮のために仕事をしたいと純粋に思っていました。そもそも、みなさんは、市長が誰かによって仕事に対する意識を低下させたりするような生半な気持ちで仕事をしていたわけではなく、誰が市長であろうが西宮市民のために全力を尽くすつもりで仕事をしていました。私が持っていた「あたらしい市長である私と仕事をしてくれるかどうか」などという心配は完全に周回遅れのものでした。
 みなさんは周囲に毅然と対応し、ただただ堅実にあたらしい西宮のために仕事をしてくれました。特に最初は私もわからないことばかりだったし焦りもありましたので、面倒をたくさんかけました。それでもみなさんからたくさんのことを学びながら、少しずつ市長として成長することができました。私という市長を造り、私をして多くを達成せしめたのは、他ならぬみなさんでした。
 市長になって約一年経って、新予算を通し、自分と市役所幹部の間に生まれている信頼関係を確信できるようになったころ、私のやらなければならない改革には、みなさんとならば一期四年でじゅうぶんだと思うようになりました。
 優秀で情熱的で実直なみなさんとともに、冗談も飛び交う創造的な議論をするのは、とても楽しくやりがいのある仕事でした。それまで仕事をする部屋とは到底思えないようすだった市長執務室に、大きな会議テーブルを入れて、連日朝から晩まで精力的に議論しました。「これまでの会議の雰囲気とは全く変わった」「市長と直接政策を議論するなんてなかった」「市長室に入ったのなんて初めて」と楽しそうに語ってくれたみなさんは、未熟な私を信頼して勝利をめざそうという前向きな気概に溢れた同志でした。一期で引退する心残りがあるとすれば、みなさんともう仕事をすることがなくなることです。
 幹部のみなさんたちは、私より以前から西宮のために仕事をしてきた方ばかりです。あの震災からの復興を現場でぼろぼろになりながらやりきった方ばかりです。そして、危機的状態にあった西宮市政を私とともに大改革するという冒険を四年間やりきった方です。私が伝えたかったことは、もはや私がいなくても、みなさんが若い職員に対しても市民に対しても、伝えることができます。この四年間で方向を転換できたことや達成できたことにたいして誇りをもち、四年前の情況に戻すことなく、さらに美しい西宮に必要な市役所を造っていってください。そうすれば、この組織から私一人いなくなったとしても、みなさんならさらに西宮をさきわえさせることでしょう。
 私はもう市長ではありませんので、これまで部下だったみなさんは、かけがえのない冒険をともにした友人たちになりました。元市長として何かを口出しすることはありません。引退した者の最大の貢献は邪魔をしないことだと思っています。元上司ではなく、ただの友人としてこれからも付き合っていただければ嬉しいです。そして、市職員としての仕事を引退されるときに、私と過ごした四年間の冒険をおもしろかったと振り返ってくれればとても嬉しいです。
 ほんとうにありがとうございました。
 

【すべての西宮市職員へ~ありがとう】


 三千人以上いる西宮市職員のうちで、四年間直接いっしょに仕事をすることができた職員はほんの一握り、全体の一割か二割くらいでしょうか。ほんとうは全員と話したかったです。
 市長室での議論に参加してくれた職員。広聴会に協力してくれた職員。採用の説明会で学生に話してくれた職員。私の参加したイベントでスタッフとしてかけずり回っていた職員。現場視察にいったときに説明してくれた職員。業務改善の提案を訴えてくれた職員。飲み会で勇気を持って絡んでくれた職員。ひと昔前によく言われた公務員のステレオタイプとはかけ離れた、市民のために責任を果たそうと情熱をもって溌剌と仕事をするみなさんは、私の誇りであり続けました。
 現場のみなさんからすれば、私の存在が及ぼす影響は微々たるものだったでしょう。でも私は、自分が幹部たちと議論をしているときにも、現場のみなさんがその仕事についてどう思うのかを考えていました。私がみなさんに保障したかったのは、西宮市職員として働く矜恃であり、自分の仕事が確実に西宮に作用しているという実感であり、何のために働いているのかという意味でした。私が若い職員たちに接するなかで、彼らの求めているものはそれだと感じたからです。
 みなさんと仕事をするたびに、みなさんが経験を積んでより責任ある立場になるだろう将来の西宮市役所を思いました。彼らはさらに責任ある立場で西宮の課題に対して豊かな現時点的解釈を与え続けてくれるだろう、そうしてこの組織はもっと強くなる、もっと美しい西宮を創る、そう思えることができました。私は市長でなくなってからも、西宮を愛するひとりの人間として、西宮市役所に期待と敬意をいただき続けることでしょう。
 ほんとうにありがとうございました。



【この数年で入庁した職員と、この四月に入庁する新職員たちへ~ありがとう】


 組織経営者として最大の仕事は人事です。組織の価値を生むのはただただ人材だからです。だから私は経営者として四年間、人材採用には心血を注いできました。説明会で西宮市役所志望の方にメッセージを伝え、採用事務では面接官を務めました。
 私は四年間採用に従事しましたので、これから数十年に亘って全職員の中に約一割は、私が経営者として採用した人材が西宮市役所にいることになります。この人材こそが、私が四年間に西宮市役所に遺せた最も重要な遺産だと思っています。三十年後、みなさんが西宮を経営する幹部となっているだろう西宮市役所は、どんなにすばらしい組織になっていることでしょう。
 最後に。この四月の入庁式で新職員のみなさんに辞令交付させていただくことができなくなったことを、心から申し訳なく思っています。二月に市長を辞めてもやり残したことは何もないと思いましたが、唯一、私がやらなければならない仕事なのにできなくなってしまったと感じたのは、みなさんへの辞令交付です。
 私はみなさんにとっては、少しもいっしょに仕事をすることがなかった前市長です。それでも私にとっては最後に西宮市役所に遺せた宝です。身体に気をつけて、これから美しい西宮のために働くという誇らしい仕事を楽しんで下さい。
 ほんとうにありがとうございました。



【西宮の先生たちへ~ありがとう】


 少子化する日本に於いて、子供たちは日本の宝です。そして、先生たちはその宝をお預かりされる神聖な職業です。
 辛いことの多い仕事の中で、子供が活躍しているのを見せていただく機会は何よりもの癒やしでした。きらきらと輝く子供たちに会うことで、人間を信じ続けられた気がします。子供たちにまいにち囲まれて仕事をしているみなさんを心から羨ましいと思いました。
 私は政治家をやる覚悟を決めた時点で、子供を持つことは諦めました。自分の痛みなら耐えられるけれど、私が親であることによって自分の子供が受ける痛みには耐えられないと思ったからです。友人たちの子供が大きくなり、その自慢を聞かされるたびに羨ましいと思っていました。しかし、市長になって私が学校や園やイベントや式で西宮の子供たちに会うことで、西宮の子供たちをまるで自分の子供のように思えるようになりました。授業で手を挙げる彼らに、校庭ではしゃぐ彼らに、胸を張って表彰状を受けてくれる彼らに、試合が終わって号泣する彼らに、彼らの書いた作文に、彼らの描いた絵に、自分の子供のように誇らしいと思うことができました。子供たちがくれた手紙や絵は、ぜんぶ市長執務机の背中側のボードにピンで貼っていました。
 明確に私の西宮経営は、子供を中心に置いていました。よく言ってきたことですが、西宮の恵まれた環境で育った子供たちが、大人になって自分の育った環境を振り返ってあらためてそれに感謝と誇りを持ち、自らが親として西宮で子供を育てたいと願う、それこそが文教住宅都市西宮が未来に亘ってさきわえ続けるビジョンでした。先生たちと私は、この四年間、子供たちを中心に据えた文教住宅都市西宮の未来を創るという仕事をともにやってきた同志だと思っています。
 みなさんの仕事は、未来を創る子供たちの育ちに責任を持つという、とても誇らしい仕事です。これからも西宮から、世界を笑顔にする子供たちを育ててください。そして、私に喜びをあたえ続けてくれた子供たちに心から感謝しているとお伝えください。
 ほんとうにありがとうございました。



【西宮の消防職員たちへ~ありがとう】


 私が若いころ西宮のために仕事をしようと決心したのは、震災で実家を全焼し、避難所生活をしたのがきっかけです。そこで、まちのために命懸けで闘う人たちがいることを知りました。
 公安職は、他の仕事と較べて一段上の敬意を持たれるべき仕事だと思っています。智慧や労働を西宮に貢献している西宮市職員たちのなかでも、とくに西宮消防は、自らの命を賭して西宮の安全を守ってくれています。私にとってもすべての西宮市民にとっても、みなさんはヒーローです。規律ただしく、自らの仕事への誇りを堂々と口にしてくれるみなさんは、ほんとうに爽やかでした。まちで消防車や救急車とすれ違うたびに、みなさんが活躍してくれていることに感謝し、無事を祈っていました。
 みなさんとともに西宮四十九万を預かっているということは、たいへん誇らしいことでした。みなさんの訓練を視察したり、出初式で消防の制服を着てみなさんの前に立たせていただいたりするとき、その矜恃を新たにさせてもらっていました。
 これかも西宮市民の安全をよろしくおねがいします。そして、なによりも、お身体に気をつけて、事故のないように。これからも必ずまいにちご無事でご家族の元に帰ってください。
 ほんとうにありがとうございました。



【西宮の地域ボランティアのみなさんへ~ありがとう】


 市長になって、すべての施策はひとり西宮市役所だけでは成り立ち得ず、地域のボランティアにささえられているのだということをあらためて強く認識するに至りました。西宮の美点は利便性で語られることが多いですが、西宮への愛と自分の専門性への矜恃で地域に貢献するみなさんこそが、西宮の住宅都市としての魅力の根源だと思いました。その「地域力」の保持こそが、これからの文教住宅都市にとって最重要な課題だと認識しました。
 市長として、地域のみなさんと協力しながらまちのための仕事をできたことに、心から感謝します。みなさんは私を友人のように、中には「息子のようだ」とかわいがってくれました。
 西宮市役所は、これまで以上に地域との接点を強く意識する組織になっています。私がいなくなったあとも、西宮市役所をこれまでと変わらず信頼していただき、これまで以上にご厚情を賜りたいと思います。
 ほんとうにありがとうございました。



【政治家今村岳司を支援し続けてくれた西宮市民へ~ありがとう】


 二十六歳の初めての選挙のことです。何もわからずに手探りで始めた選挙の、最後の演説を阪急夙川の駅前でやりました。喉も枯れてぼろぼろになりながら、何を言っているのかわからないような拙い演説だったでしょうに、駅から降りてくる人もバスから降りてくる人もロータリーにどんどん溜まっていって、駅前は気がつけば黒山の人だかりになっていました。バスが来ても乗らずに残って話を聞き続けてくれました。演説を終えてマイクのスイッチを切って頭を下げた瞬間、駅前は拍手万雷、がんばれという声がそこかしこから聞こえました。泣いているお年寄りもいました。後援会組織などをつくったりせずに、西宮すべてに対して直接自分で政治を発信し続けようという政治態度の原点は、この平成十一年四月二四日土曜日一九時半の阪急夙川駅での街頭演説でした。「きっと西宮の至るところに、私の知らないところに、私の政治に期待してくれている人がいるはずだ」という西宮市民への信頼は、ここから始まりました。
 「清き一票のお願い」はぜったいにしませんでした。有権者には選ぶ権利があるのだから選んでもらえる政治家になればいいだけだと思っていました。後援会はつくりませんでした。閉鎖的な仲間うちではなく全西宮市民に対してあるべき政治を訴えようと思っていたからです。これまで五回やった選挙でやったことは、ただひたすらの早朝駅頭とポスティングによるチラシ配りと、演説だけでした。
 四年前には、ほんとうにたくさんの人に「あんたが若いときから演説は聴いてきた」とか「あんたのチラシは昔のからぜんぶとってあるよ」などと言っていただきました。そして、ほぼすべての議員と政党と団体に支持された現職候補に挑戦した市長選挙で私は当選し、西宮はあたらしい政治を始めました。これまでの選挙の常識を覆す結果でした。
 文教住宅都市西宮市ふさわしい政治を取り戻したのは、私ではなく投票所で賢明な選択ができた西宮市民でした。私を市長にしてまちを救ったみなさんは、善き市民としての達成をあらためて誇りにしていただきたいと思います。歴史の息づく文化の薫り高いまち、高い品質の教育のあるまち、美しい自然と街並みのある子供の帰ってくるまち。危機に瀕していた文教住宅都市西宮は、みなさんのおかげで守られました。
 惜しんでいただく声を数え切れないくらいいただきましたが、みなさまに十九年支えていただいた政治家今村岳司は、使命を終えましたので引退いたします。もとより文教住宅都市西宮の完成は永遠になく、私は長い歴史の中のごく短い期間に責任を負ったにすぎません。抜本的改革と、安定的経営は別の政治家が担うべきです。また、政治家は役割を終えてなおその場に留まることで悪影響を及ぼしがちです。政治家の引退に遅過ぎはあっても、早過ぎはありません。自らの使命を見つけることができ、何にも媚びることなく闘いきってそれを達成することができたのは、政治家冥利に尽きます。誇らしい政治家人生を与えていただいたみなさまに、心より感謝申しあげます。長くお世話になりました。
 ほんとうにありがとうございました。



【政治家今村岳司とともに戦い続けた「今村組」へ~ありがとう】


 私は人生で五回の選挙を戦い、そのすべてに美しく勝利しました。それを毎回支えてくれたのは、「今村組」と自分たちで呼んだ、あしたの日本を担うべき若者たちでした。
 早朝六時から私とともに駅に立ち、ときには寒さに凍えながら、ときには心ない言葉をかけられながら、毎朝二時間半、笑顔でチラシを配ってくれました。朝食を済ませるとチラシを満載したリュックサックを背負い、西宮のまちにチラシをポスティングして回ってくれました。丘のまちにも路地の奥にも、四十度近い暑い日も、脚をテーピングだらけにしながら日が暮れるまで配ってくれました。夜にはリビングの寝袋で雑魚寝をして翌朝のチラシ配りに備えてくれました。全くの無給と過酷な環境、でも、どんな組織にも負けない規律と高いモチベーションで活動をしてくれました。私の政治は、「今村組」の活動からくる選挙への絶対的自信が常に背景にありました。ある人は「今村組一人のはたらきは千の名簿に相当する」と言いました。丘もある百平方キロの西宮二十万世帯に十二日間でチラシを配りきる今村組は、選挙の常識が通用しない驚異的な戦闘集団でした。
 選挙の近い時期の厳しい活動のみならず、ともに学び、遊び、たくさんの冒険をしました。そして彼らは私のところを巣立っていき、私には実現できない夢への挑戦をそれぞれの場所でしてくれるようになり、たまに遊びにきてくれるようになりました。
 あなたたちは私の誇りを共有する仲間であり、ともに日本のあしたを創ろうと誓った同志であり、厳しい戦いをともに経験してきた友人でした。むしろ、友人をこえた弟妹であり、息子娘でした。自分が政治家として常に誇りや哲学を最優先して活動してきたのは「今村組の弟妹たちに息子娘たちに恥ずかしくない政治家でありたい」という思いがあったからこそでした。
 兄は、父は、政治家を引退しました。あなたたちと経験しつづけた限界を超える挑戦の数々はいまとなっては美しい想い出です。これからの私は、まずは休み、次にどんな挑戦をしようかゆっくり考えようと思います。ただ、弟妹たちに、息子娘たちに、これからも誇れるような次の人生にしたいと思っていますので、これからも私に瑞々しい刺戟を与え続けてください。一年は仕事をせずにまいにち家でゆっくり過ごそうと思っています。いつでも私じまんの食事を食べに、子供や家族を連れておいでください。たくさん話をしましょう。
 ほんとうにありがとうございました。



【最後に】


 政治家には二つの命があります。生物としての命と政治家としての命です。私は自分一人くらいの命を粉々にすり潰して西宮に撒くくらいしないと西宮の政治は生まれ変わらないと思って政治家をやってきました。そして、政治家としての命は粉々にして西宮に撒ききりました。その結果、私が変えなければいけないと思った程度をはるかにこえて西宮の政治を生まれ変わらせることができたと思っています。
 十九年間まいにち、「あと○○日でこれが終わる」「もうこれで○○をしなくてすむ」、そればかり思いながら生きてきました。私がやりたいことではなく、私がやらなければならないことのために生きてきました。自分に合った仕事をやるのではなく、自分のやらなければならない仕事に必要な自分を造りあげてそのつど仕事をやり遂げてきました。自分にかかる負荷によって西宮や政治が救われるのであればと思って、痛みも苦しみもすべて誇りを以て受け容れてきました。人生のこれから後半は、「ずっとこれが終わらなければいいのに」「またこれをしたいな」と思いながら、ほんらいの自分らしく、自分と妻と友人たちのために生きていきたいと思います。しばらくは、私の身体とあたまから毒を抜ききるために、仕事をせずに静かに生活します。私にも人間としてのしあわせを求める権利はあるはずです。
 私はこれで政治家ではなくなります。この長いメッセージは、市長として発しなければ意味のないものであり、また、明日には公人でなくなるという今日にしか発することができないものでもあります。blogの更新もこれが最後です。Facebookのアカウントもしばらくしたら閉じます。政治家としての名刺やチラシに記載してきたメールアドレスも閉じます。そしてすでに引っ越して違う場所に住んでいます。永遠に西宮ファンであり続けますが、二度と政治や選挙に関わることはありません。
 引退を決めたときから一年以上かけて、私があたらしい西宮にふさわしいと見込んだ人物を口説き続け、三顧の礼を以て彼に西宮市長選挙への立候補を決意してもらいました。彼が来るべき選挙に必ず勝利し、さらに美しい西宮を造ってくれると信じていますので、私の仕事は政治の世界にはもうありません。
 完全に私人ですので、マスコミからの接触もいっさいお断りします。報道機関による権利侵害はしばしばその対象が公人であることを以て正当化されがちですが、私人に対しては報道機関による一切の権利侵害を正当化する理由は裁判実務上も一切なくなります。よって私に接触しようと試みることはすなわち法律上問題のある行為です。晴れて、政治や新聞と永遠に関係のない人生を送ります。
 政治家今村岳司とお付き合いいただいたみなさま、さようなら。これまでほんとうにお世話になりました。


 そして、人間今村岳司とお付き合いいただいてきたみなさま、すでに心配のお声をたくさんいただいておりますが、十九年ぶりに目覚めたような清々しい気持ちです。
 ただいま帰ってまいりました。