- 2012-05-16
- 本日の尼崎市長の対話集会で、西宮市長の発言の話が出ました。
- 2012-05-14
- 震災瓦礫の問題に関して市長の発言
- 2012-05-10
- 気配を消して周囲に溶け込み、適合したふりをして周囲のようにはしゃいだふりをし、それでも適合させようとして精神を圧迫していると、子供のころのトラウマが甦った。
- ひとりでいるときには何を作って食べてるんですか。
- 2012-05-07
- あたらしい政治家インターンシップ「立志政経舎」、始めます。
- 関西圏政治研修会で講演をしました。
- 2012-05-04
- トモニイコウ
- GW明けに滋賀で講演があります。対戦相手(?)は佐々木信夫教授。
- 2012-05-02
- 「震災瓦礫の受入れに関する申し入れ」を市当局にしました。
- 部屋が広く使えるようになったので、食卓が自然とじゅうじつする。
- 2012-05-01
- 模様替えしました。
2012-05-16
■ 本日の尼崎市長の対話集会で、西宮市長の発言の話が出ました。
これの続編。
西宮市長が「西宮の土地だけキレイであればいいというのは間違っている。西宮の子供達だけキレイであればいいわけではない。痛み分けをすべきだ」と、東葛地域などからの避難者に対して、ガレキ問題で発言したようです。
の件。
この動画をご覧ください。
本日晩方、尼崎市立すこやかプラザで行われた
↓「震災がれきの受け入れについて稲村市長とともに考える対話集会」の模様です。
ustreamの動画はこちら
この1:37'20''くらいから。
男性が質問されて、それに稲村尼崎市長がお答えになります。
(質問者の男性)西宮の例を出させてもらいますね。
西宮市も同じようにやられているみたいなんですけども、
ちょっと市長さんね、あんまりいいこと言ってないですね、こないだ。
「みんなで被災しよう」みたいな。
「みんなで被災しよう」ではないけれど、
痛み分けだということで率先して瓦礫を受け容れるような発言をされたんですけども、
ご存じですか、そのへんは市長としてどのようにお考えなんでしょうか。
(稲村尼崎市長)西宮市長からは、その通りの発言を私も直接うかがっております。
市当局はいまのところ問い合わせに対して、そのような市長発言はなかったと答えているようですが、
公人である尼崎市長が、しかも「直接うかがった」と言っておられます。
さて、「そうだ、西宮は放射能瓦礫を受け容れるのだ。痛み分けだ」と言うのか、
それともこの発言を取り消すために対策を講じるのか。
我々はこちらで申し入れしておりますとおり、
「市民の安全・安心を最優先とし、通常の放射線量程度を超える瓦礫は受け入れないこと」を要望しています。
議会からできることはなんでもするつもりです。
何度言っても言い足りないので改めて言いますが、
西宮市当局の最低限の仕事は、西宮市民の安全・安心を守ることです。
絶対に、通常の放射線量程度を超える瓦礫の受け入れははさせません。
西宮市議会は(いよいよ西宮市当局から)西宮市民を守るため、その存在意義に賭けて、絶対に譲れないところです。
誰に会っても、「しかし日本は終わっとるね」「西宮市は終わっとるね」と言われます。
でも私は答えています。
「だいじょうぶだよ。議会は他の市よりよっぽどまとも。必ず西宮市議会が西宮を守って見せますよ」と。
そしていつも続けます。
「だって、人死にが出ていたり、飢えたりしているわけじゃないし。諦めずに議会で活動しています」と。
でも、この問題は、「人死にが出たり」のレベルの問題です。
ほんとうに看過できません。
2012-05-14
■ 震災瓦礫の問題に関して市長の発言
きょう、たくさんのところから連絡をいただきました。
何でも、西宮市で行われたある方の講演会で、市長の発言が紹介されたようです。
西宮市長が「西宮の土地だけキレイであればいいというのは間違っている。西宮の子供達だけキレイであればいいわけではない。痛み分けをすべきだ」と、東葛地域などからの避難者に対して、ガレキ問題で発言したようです。
とその方のブログにあります。
これが真実なら、とんでもない発言で、たいへんな問題です。
逆に真実でないなら、それについて早急に弁明しなければなりません。
このことについて情報をお持ちの方は、お手数ですが、こちらに私の連絡先がございますので、ご連絡ください。
いつどこで誰に対して為された発言なのか、そしてそれが正確な情報なのか、それが知りたいと思っております。
2012-05-10
■ 気配を消して周囲に溶け込み、適合したふりをして周囲のようにはしゃいだふりをし、それでも適合させようとして精神を圧迫していると、子供のころのトラウマが甦った。
向き不向きというものは確実にあるわけで。
だから「自分に合うから、自分が好きだから」は他の人にあてはまるかどうかは不確実です。
むしろ私は、自分の感覚が他の人の感覚とずれているのだろうという自覚がありますので、
私の好きなものを他の人が好きでない可能性のほうが高いだろうとすら思っています。
きのう、あるプログラムに参加しました。
あたらしい教育プログラムのひとつの視察として、勉強に行きました。
その概要については詳述することは避けますが、
要は何の準備もなしにダンスや歌を楽しくみんなで創り上げよう、というようなものです。飛び込んでみよう、的な。
(その哲学的意図や価値についてはよくわからないので、外面的概要で言うとそうなります)
ほんとに精神的にタフでした。辛かったです。
その「辛い」は「それを乗り越えられれば強くなる」とかの「辛い」ではなく、普通に「不快」でした。
他の人に話しかけられることに怯えきっていました。
(きのうそれに参加していらい、精神的ダメージがきつくて、仕事が捗りません。。)
なんでそんなに辛かったのか、考えていました。
普段なら「意図的に忘れる」ことによって復活すればいいし、それはたいへん得意なのですが、
このプログラムじたいが、自分のたいせつな友人が一所懸命やっている仕事なので、なまなかにはできませぬ。
考えてみた結果、得も言われぬ苦しさは、自分が消したはずの記憶が甦ってきたことが原因だったとわかりました。
子供のころのトラウマの反芻。
現在の私は以前の自分の全否定(少なくとも反面教師としたうえで消去)によって成り立っています。
親きょうだいのことや小中学校のことや震災のことは、ほぼ記憶から消えている状態です。
消えたものもあれば消したものもあり。
(小学校のころの友人とはよく会うのですが「そんなことあったっけ?」ばっかり。)
子供のころの記憶が甦ることは、震災のことを思い出すような苦しいことです。
自分が指名されるのではないかという恐怖におののきながら気配を消すことだけを考えていた嫌いな科目の授業。
「食べる」ということじたいが苦痛だった自分にとっての給食や家の食事。
家族といっしょにいることに関心がない(むしろ必要最低限に留めたい)自分にとっての旅行。
周りが楽しそうで、冷めている自分との距離をことさら感じさせられた学芸会や学級のイベント。
動作の合理的な理由を説明されずにただ繰り返せとしか言われなかったスポーツ。
それらを楽しんでいるかのように他人の前で意図的にはしゃいでいました。
「それを繰り返しても上手くならない」と思いながらも終わりの時間が近づくのをただ待っていました。
そういうことを気取られたくないので、必死で群衆のひとりとして気配を消していました。
そういうことが思い出されました。
あの頃のように「ひとりになれる図書館や自分の部屋や公園に戻してくれ」という
切実な救援信号が自分の中で鳴っていました。
なんだか、ほぼ完全に消したと思っていた(それによって安寧を得ていた)子供のころの記憶が甦ってしまいました。
でも、多くの子供たちにとって給食も学校のイベントも家族もスポーツも楽しかったはずで。
その感覚に他の子とずれがあることも子供のころから自覚していて、
遠足がくだらないのではなくて、私が遠足を楽しめないのがちょっと変わっているんだ、という感覚ももっていました。
むしろ、それは「人と違う」ではなくて、当時の私にとっては「劣っている」だったわけで。
それがさらに子供だった私にとってはきっと精神衛生上よくなかったんだろうとは想像できます。
「私も他の人と同じように、給食やイベントを楽しめたり、家族と仲良くできたりしたらいいのにな」と思っていました。
それも思い出しました。
何はともあれ、強烈に精神的なダメージを受けたので、きのうから仕事が捗りません。。。。
■ ■ ■ ■
勉強も楽器もスポーツも、練習をみんなでしたり競争したりしたら何も進歩しない。
他者との競争や他者からの影響のせいで、理解や能力向上に集中できないから。
他に勝っても楽器が上手いわけではないし、学問を理解したことではないのに、なぜ横並びに競争を?
山や海や寺なんておおぜいで行ったら何も匂わないし何も感じない。
せっかく絶対的な調和をとれているのに、人が騒いでいたりしたら台無し。
しかも、その良さをみんながそれぞれで感じるべきなのに、なぜくどくどとその良さを「説明」するの?
本が読みたい、木工がしたい、楽器が弾きたい、ひとりでお寺や砂浜に行きたい…。
「私にとっては」、そうでした。子供のころの私にとっても。
勉強は嫌いでしたが、本は大好きでした。
本の中の英雄と私の二人きりで、何でも達成できました。本からはいくらでも知識が吸収できました。
一人で誰にも習わずにやれるのでギターに夢中になりました。
テープの中のミュージシャンと私だけで音楽を楽しめました。弾き方はPVのロックスターに習いました。
一人で走ることの快感を知ってやっとスポーツが好きになりました。
どんどん研ぎ澄まされて無駄が削られていく濁りのない純粋さを感じられました。
「感覚」は自分に制禦できるものではありません。
「嫌いなものを好きになる」「醜いと感じたものを美しいと感じる」は無理です。
それを自分に強いようとすると、異常な精神的ストレスに苛まれます。
できるとすれば「嫌いだけどやる」「醜いと感じるが逃げない」だけです。
その「感覚は制御できないから、行動で制禦しよう」にしても、
つい最近、30過ぎてからできるようになったようなことです。
自分で選ぶスポーツや芸術とは違って、学校などは子供にとって「強制的なコミュニティ」です。
反応する子供以外への反作用や影響を考えると、あまり学校で特別なプログラムをするのはどうかな、と思いました。
「合わない子」「合わせたふりをすることに疲れていく子」「合わせることで精神的に毀れていく子」
が生まれるようなものはいかがなものか、と。私がそうであったように。
子供のころ教わるべきものは、読み書き算盤と健康と規律と礼儀と愛国心くらいなものでしょうか。
学ぶべきことは公正さや自己責任や勇気や卑怯でないこと合理的であることとか。
忘れるとか覚えるとかではなくて、性根に刻みつけておくべきものなんてこんなものじゃないか、と。
どうせいくら詰め込んだって忘れるだと思っています。みんなじっさいに何か覚えているの?
私は、本だけはどんどん背伸びして大人の読む本を読めばいいと思いますが、
それも「読ませる」となると合わない子にとっては苦痛なだけでしょうから、読みたい子が読めばいいし。
■ ■ ■ ■
いっぽう、一昨日仕事の関係で誘われて初めて体験したボクシングは、ほんとうにすばらしいと思いました。
立志政経舎の活動を共にしている泉大津市議の南出賢一さん(元全国4位!)が
甲子園ボクシングジムにお世話になっていたということで、
立志政経舎の仕事ついでに稽古を付けてもらいました。
鏡に映った自分を見つめながら、少しずつフォームを修正しながらシャドウをやったり、
一発一発打ち方を確認して、少しずつ修正しながらサンドバッグをやったり。
ぜんぜんうまくいきませんでした。
最後はスパーでボコしてもらいました。
やれるとは思っていませんでしたが、想像以上にやれませんでした。
でも、とても純粋で、ほんとうにここちよい経験でした。

(↑ちなみにお世話になったのは甲子園ボクシングジム)
■ ひとりでいるときには何を作って食べてるんですか。
相変わらず私のブログは料理記事が圧倒的に反響が多い。
うちに来られた方に食事を出すと「いつもこんなお料理するんですか」と言われます。
いいえ。めんどうですから。
料理に1時間もかけるなんてみんなで楽しくいただくときだけです。
「ひとりのときにはどんなお料理なさるんですか」
ええ、こんなのです。
ステーキと揚げニンニクと米。

こ、これは料理じゃない…。
肉なんて安いのを使っても焼き方と塩加減でじゅうぶんステーキにできます。
和牛であればいい。それは品質にこだわり、とかじゃなくて、日本の農家のためにできることを、みたいなもの。
原価300円くらい?それに10分。
ちなみに、弁当は全部残りもの+残りごはん、です。早起きして作ったりしてるわけではないです。








