• 2018-01-08
    • 市長として出席させてもらう、最後の成人式でした。
  • 2018-01-05
    • きのうの報道についての会見をおこないました。
  • 2018-01-04
    • 市役所仕事始式で、今年5月での市長引退を表明しました。

2018-01-08

市長として出席させてもらう、最後の成人式でした。

新成人の皆さん、おめでとうございます。
また、ご来賓の皆様におかれましては、お忙しいなかご臨席を賜り、誠にありがとうございます。
また、これまで、この成人の日のつどいを準備してこられた実行委員のみなさんのご努力に敬意を表します。

        ■

さて、新成人の皆さんは、もうとっくに有権者でもあり、
すでにお仕事なさっている方、お子さまおいでの方もいらっしゃいますが、
世間では「若い」と扱われがちです。
ですから、年上の人からのアドバイスをしばしばお受けすることになります。
それは、もちろんみなさんのへの愛からくるモノではありますが、
ハタチのみなさんが大事にすべきことは、必ずしも年上の人のアドバイスではありません。

たとえば、年上の人たちが「無理だ・やめておけ」と言ったりします。
その人は、あなたがその挑戦に破れて失敗すること、
そして、その失敗があなたを大きく傷つけることを心配してそう言ってくれているのです。
あなたへの愛ゆえにです。
彼は彼の経験上、あなたの挑戦が失敗に終わると思っているのです。

でも、その人が「無理だ」と言うのは、「その人にとって無理」だっただけで、あなたには可能かもしれません。
その人の限界より、あなたの限界がもっと遠いところにある可能性はじゅうぶんにあります。
また、たとえその人の言うように、あなたが失敗したとしても、
その失敗したところから、次の挑戦をすればよいだけの話です。
失敗して、傷ついて、だいじなものを失って、そして、そこからどうするのかこそが、
あたらしい価値を生み出せるかどうかなのです。

経験に基づく先人の言葉が価値を持つことも、ときにはありますが、
彼らの言葉に束縛されることなく、
自らで判断し、新しい価値を創造することのほうが重要です。
自分で決断し、自分で挑戦し、自分で失敗し、自分で這い上がり、
自分で限界を超え、自分で常識を疑い、
自分で新しい価値を創造し、自分で恋をし、
自分で血と汗を流し、自分で幸せをつかむ、
自由と責任があるんだという希望を、
きょう成人式で新たにしてもらいたいと思います。

        ■

私の親は戦中戦後に生まれた世代です。
彼らはぼろぼろの日本がどうやって立ち上がるのか、
ということを考えている日本に生まれ、育った人間たちです。
私は高度経済成長期に生まれた世代です。
私たちは右肩上がりに成長して先進国に仲間入りしたい、
ということを考えている発展途上の日本に生まれ、育った人間です。
親たちの世代は、安定や物質的充足こそが幸せでした。
高級車、ブランドバッグ、ハワイ旅行、ゴルフ会員権。
彼らは同じようなものを幸せの究極と規定してそれをめざしました。
それに何となく違和感をもった人も、周りがみんなそれをよしとするので、
それをめざさなくてはいけないような同調圧力を受けていました。
それがは、社会が安定していなかったし、物質的に充足していなかったからです。
一部充足している人が幸せに見えたから、それをめざしたのです。

一方のみなさんは、とっくに文化的に先進国となった日本に生まれた世代です。
私の親の世代や、私の世代が幸せだと思ってきたものと、
みなさんが幸せだと思うべきものは変わっています。全く別モノです。
私の親の世代や私の世代が幸せになるために必要だと思ってきたものと、
みなさんが幸せになるために必要なものは変わっています。

日本の治安はよくなり、物質的にも充足しました。
もはやそれを競うことが幸せとは言えなくなっています。
他の人よりちょっと高級な車や服を持つことがそんなに大事なのか、みなさんは首を傾げることでしょう。
私を含む年長者たちが育つときに大切にされてきたものと、みなさんが大切にすべきものは同じではないのです。
空気を読む、自分の主張を控える、言われたことをきちんとやる。
四の五の考えずに繰り返し同じことをやり続けることが成功に繋がる。
そういったことが何より重視された時代もありました。
そしてそれによって確かに日本は焼け野原から先進国に辿り着きました。
しかし、いま大切にされるべきものは、ほんとうにそうでしょうか。
いまのみなさんに必要なのは、焼け野原から先進国に成り上がることではありません。
これまで重視されてきた価値観に遵うことは、
必ずしもみなさんの求める達成や幸せを勝ち取ることに繋がるとはいえません。
それに、彼らの幸せが前提としていたような、年功序列の給料や、払ったより余分にもらえる社会保障制度は、
もはやありません。
彼らの価値観に遵って生きていっても、彼らが定義した幸せを手に入れるかどうかすら怪しいでしょう。
みなさんは、文明的に先進国になり、社会的に成熟した日本で大人になったのです。
この日本でどんな価値を生み出し、どんな幸せを生きるのかは、自分で考えなければいけません。

「幸せ」のカタチが変わったのではなく、きまりきった「幸せ」のカタチなどなくなったのです。
何が「幸せ」なのかを自分で決めて、それを実現するために生きることが求められているのです。
指示を待たず、自分のあたまで考える。
既存の価値観を疑い、新しい価値に挑戦する。
それがみなさんに求められていることなのです。

私は昭和47年に生まれた45歳です。
ちょうどバブルが弾けたころに成人した世代です。
ほんとうは、その時代から日本は、共通テンプレの「幸せ」などない先進国になっていたのです。
ただ、戦後日本の発展と共に歩んできた世代が現役だったこれまで、
日本はなかなかその現実を理解しようとしなかっただけなのです。

        ■

私の友人の元Jリーガーは、
「ジュニア期にはオトナが過剰に教えようとすると上手くならない」と言います。
「パスを待つな!もらいにいけ!」「ボールを取られたら取り返せ!」
日本には、試合中、ずっと怒鳴りっぱなしの指導者がたくさんいます。
でも、こういう指導者に育てられる選手は、指導者の指示に反応して動きますから、
指示なしには動けなくなります。
また、怒られることを恐れてチャレンジできなくなります。
そもそも、怒鳴られながらサッカーをするなんて楽しくありません。
いっぽう、育成大国と言われるベルギーでは、
試合中に指導者や保護者が指示を出せば即退場という規則だそうです。
オトナのやってほしいサッカーを押しつけて、彼らの芽を摘むのではなく、
自分で考えてサッカーを楽しむ選手を育てようと考えているからなのです。
ベルギーでサッカーをする子供たちに求められていることは、
規範に遵うことや、練習で習ったことを正確に実現することや、指導者に従順であることではなく、
自分で考えること、挑戦すること、サッカーを楽しもうとすることなのです。
いまの日本のサッカーの指導者たちはもしかしたら指示されて怒鳴られて、強くなったのかもしれませんが、
それがいまのサッカー少年たちにあてはまるかどうかは疑問です。

また私の友人の元プロ野球選手の指導者に、
「なぜ甲子園を驚かせたような選手なのにプロに入って成功しない選手がたくさんいるのですか」ときいたら、
彼はこう答えました。「コーチが潰すんです」と。
ほんらいプロに入るような一流の選手たちは、若くても自分のやりかたをもっています。
むしろスカウトはそういう選手を選んで指名しているのです。だから彼曰く、
彼らはプロに入っても自分のやりかたでやるべきだといいます。
ほんとうに迷ったりわからなかったりしたら、
自分が誰のアドバイスなら聴くのかを自分で見極めて自分で聴くべきだ、と言うのです。
どの若い選手にもアドバイスを求められない中途半端な指導者が、
自分をゆうに越えるような素材に手を出して彼の素材を潰していく、と彼は嘆いていました。
彼曰く、あるパリーグの球団では、指導者が個別にある選手に指導することを固く禁じているそうです。
その指導者の独善的な指導が素材を潰してしまうからだそうです。
その選手への指導はどういうものであるべきか、必ず指導者たちが議論をして選手と相談して決めるそうです。
これからのみなさんは自分でどのように練習し、成果を出していくのかを、
自分で決めてその責任をとっていく必要があるのです。

        ■

何を自分の幸せと定義するのか。
自分はどんな考えかたに遵ってこれから社会で動いていくのか。
それを自分で考えること、それこそがオトナになるということです。
私には創れない西宮を、私には創れない日本を、私には創れない世界を、みなさんには創ってもらいたいですし、
私には想像できない幸せで、人生を彩って欲しいと思います。

みなさんが、これまでの人たちには無理だったことに挑戦し、
新しい価値を創造できなければ、社会は発展しません。
みなさんは、
私たちの世代に発明できなかったものを発明し、
私たちの世代に救えなかった人を救い、
私たちの世代が実現できなかった夢を実現する人たちです。
みなさまの若さに対して、最上級の敬意を表します。

        ■

じぶんごとで恐縮ですが、私はこの5月で市長を引退します。
26歳から19年間やってきた政治家人生で、政治家としてやらなくてはならないことをやり切ったからです。
きょうを含めこれまで4回、市長として、これからの世界を創る新成人のみなさんにメッセージをする機会をいただきました。
それはほんとうに誇らしいことでした。

ただ、私はまだ45歳ですので、これから別の選挙に出たり、「元市長業」で食べたりするつもりはありません。
ぜんぜん違う分野に挑戦し、もういちど人生を楽しみたいと思っています。
いま私はみなさんと同じく、あたらしい挑戦を始めようという気持ちに満ち溢れています。
みなさんに負けずに、これまでの人に創れなかった世界をまた創りたいと思っています。
みなさん、がんばってください。
私も負けずにがんばります。

以上で、私の式辞とさせていただきます。
あらためまして、本日は誠におめでとうございます。


2018-01-05

きのうの報道についての会見をおこないました。

きのう新聞記者に暴言を吐いたことが大きく報道されているようなので、
きょう会見をおこないました。

昨年末、すでに休みに入っている日に、ある記者が自分が妻と住んでいる自宅にまでやってきました。
私有地にまで入ってきて「市長の進退云々」と取材を試みました。
私は、いちばんに引退することとその理由を伝えるべきは職員と考えていましたし、
そもそも退去を命じているにもかかわらず私有地にいたので、話すつもりはないから帰れと言いました。
そしてすぐ市長室を通じて新聞社に抗議を申し入れました。
(あとで調べましたが、私の土地は囲繞していないので"住居侵入罪≒不法侵入"にはあたらないようです。"所有者が退去を命じているにもかかわらず私有地に侵入した"が事実です。ただ、私は訴えようと思っていたり逮捕しようとしたりしたわけではないので、私には大きな問題ではないです。ちなみに会見では「不法侵入」と先に言ってしまったので「私有地に侵入」と言い換えています。これは明確に事実なので。)

そしてきのう。
その記者は、私が幹部に対して話をした直後に、
私の進路を遮るようにレコーダーを持って取材をしようとしてきました。
私は、まずは彼から謝罪を受けられると思っていたので腹を立てて暴言を吐いてしまいました。
午後には彼の上司とも話し、年末のことを彼から謝罪していただけるなら、
暴言について彼にも謝罪しよう、そうすれば笑顔で握手もできるだろう、と話しました。
暴言を吐いた彼には申し訳ないと思っていますし、抗議文については謝罪文を返しています。

ただ、私と当該新聞社及び記者の問題であって、他の報道機関は関係ないです。
きょうの会見でも挑発してさらに何か引き出そうという記者がたくさんいましたが、
さらに挑発に乗って彼らの欲しいものを提供するつもりはありません。
昨年末の記者の行為を通常の取材行為だという関係者もいましたが、そうは思いません。
取材の名の下にあらゆる暴挙が許されるとは思っていませんし、
報道の名の下にあらゆる侮辱行為が許されるとは思っていません。
そして私も公人だから何をされてもしかたないとは思っていません。
きょうも会見のあとエレベーターに乗り込む私にカメラを強引に寄せてきたカメラマンがいました。
ちゃんと座って会見を開いたのだから、写真を撮りたければそれで足りたはずです。
私にまた暴言を吐かそうと仕向けようとした挑発行為のつもりだったと思います。
そして私を含むあらゆる国民は、これらの行為に対しては効果的な対抗手段を持ちません。
そもそも彼らは何のためにこれらの行為をするのかも理解できません。
私がきのう記者に対して吐いた暴言に対して謝罪のつもりがあることと、これらは別問題です。

きのう私が幹部に話している一部始終には記者も取材で入っていました。
そしてその原稿も直ちにWEBに公開しています。
閉じたところで秘密に発言しているわけでもなく、じゅうぶんに情報公開しています。
それをもとにじゅうぶん記事は造っていただけるはずで、追加で話すものなどありません。
そもそもきのう記事になったのは暴言の件ばかりで、訊かれるはずのことはすべて話したにもかかわらず、
引退についての詳細の記事はほとんどありませんでした。
仕事始め式が終わったあとに殺到した彼らが欲しかったものは何だったのかよくわかりません。

内容についてはあの場で幹部に話した以上でも以下でもないですし、
直接話す機会をいただく場ではその方々にたいしてお話しをさせていただいています。
いずれにしても、自分自身のたいせつなメッセージを報道機関を通じて発信することはありません。
曲げて伝えられたくないメッセージはこうして自分自身で発信します。

きのうの日程。

0830 副市長MTG
0845 庁議
1000 仕事始め式
1100 教委仕事始め式
1300 宮っ子Jリーガー祭
1600 中央病院仕事始め式

きょうの日程。

0830 副市長MTG
0900 裁判関連
0930 記者会見
1000 国保答申受け
1030 交通関連打ち合わせ
1115 来客
1130 防災関連レク
1145 来客
1230 会合
1400 議会関連
1500 会合
1800 会合
1830 会合


2018-01-04

市役所仕事始式で、今年5月での市長引退を表明しました。

<全文>

あけましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。

ここで年頭の挨拶をさせていただくのも4回目になりました。
私はここで、市長としての私がこの5月で引退することを表明させていただきます。
4月の市長選挙には、私は立候補しません。
私は以前より、この話は、家族や友人を除いては、
西宮の困難に対して私とともに立ち向かってくれたみなさんにこそ、
最初にすべきと考えていました。
苦楽を共にしたみなさんがこの報せを
マスコミや議会中継を通じて聴くということはあってはならないと思っていました。

昨年まではここで、一年間の市政運営についての話をさせていただきました。
きょうはここで、これまでの西宮市政とこれからの西宮市政についての話を
させていただきたいと思います。

  ■

平成7年に阪神大震災に見舞われた西宮は、
第10代馬場市長とともに復興を成し遂げました。
ここにいる全職員は、全員が年次から考えても
震災復興という一大プロジェクトに関わった職員ですから、
その困難と達成についてはここで語るまでもないでしょう。
私が平成11年に26歳で市議会議員になったときも馬場市長でした。

私が市長になって半年で馬場市長は引退されました。
都市としての機能を完全に回復し、驚くべき短期間で震災を過去のものとした西宮は、
ただちに、文教住宅都市という都市ブランドを再定義するという大きな仕事・
復興の先の未来を見据えた取り組みにとりかかるべきでした。
それは明確に政治の仕事でした。
しかし、西宮の政治は迷走を始めました。

いっぽう、
更地の上にキレイに整えられた街が開発業者にとって魅力的だったのは当然です。
不動産事業者は次々と物件を開発していきました。
西宮市民は笑顔を取り戻してあたらしい生活を始め、
西宮の企業は逞しくあらたな挑戦を始めました。
平成17年に芸文センター、平成20年に阪急西宮ガーデンズがオープンし、
西宮は気がつけば「住みたいまちナンバー1」になっていました。

復興した西宮はどんなまちとして定義されていくべきなのか、
ともに復興を成し遂げた西宮市民と、どんなまちを造っていくのか、
あたらしく西宮に来てくれた西宮市民に、どんなまちを提案するのか。
西宮の政治はそれに何も答えを出せないまま、西宮は発展してきました。

西宮市役所もリーダーシップ不在だからといって止まるわけにはいきません。
日々市民に接している職員は、責任を政治に転嫁できません。
政治が迷走するなかで、バックアップの受けられない現場で、
みなさんは、ただただ課題解決に邁進してきました。

  ■

その情況を、私は政治家としてずっと見てきました。
私が政治を志したのは、震災で家を失い、
西宮のために働きたいと思ったからです。
その政治がこれからの政治のために何も為そうとしない情況に苦しみ続けました。
市議会議員という立場からでもできることはないかとも考えました。

結果的には、
結局ふさわしい人物が市長を務めなければ根本的な解決はないと思い知りました。
あの困難において、市議会議員はあまりに無力でした。
西宮にゆかりのある優秀な経営者に、
西宮市長となって西宮を救ってほしいと、口説きにすらいきました。
自らが市長となって西宮を救うしかないと結論したのは、7年ほど前のことでした。

  ■
文教住宅都市という都市目標を再定義し、それにふさわしい経営を恢復すること。
その文教住宅都市を考えうる限りの未来にまで持続させるための基礎を築くこと。
震災復興のあと15年に亘る政治的迷走で積みあげられたツケを解消すること。
西宮の政治に期待しなくなって久しい西宮市民をもういちど西宮市政に繋ぎ戻すこと。
それらを成し遂げるために、閉塞感漂う西宮市役所を再建すること。
私は自分の政治家としての死に場所をそこに見つけました。

  ■
乾坤一擲の市長選に勝利し、
みなさんとあたらしい西宮市役所を造るという仕事が始まりました。
そこから2期8年くらいでやらなければならいことをやり切ろうと思っていました。

しかし、その翌年の市議選を経た情況を受けて、
2期8年と悠長なことは言っていられない、4年でかたをつける、と、目標を修正しました。

  ■

若いころ尊敬していたある政治家は、
私に「最低2期はやりなさい」と言いました。
彼になぜ2期かと問うたとき、彼はこう応えました。

有権者の信頼を得るのに1期はかかるから
自分の色は2期目に入らないと出せない。
職員の信頼を得るのに1期はかかるから
役所は2期目に入らないと動かない。

市長選から1年半経った時点で、
私はすでに市民の確かな信頼を実感していました。
そもそも私は自分の色を出したいと思って市長を志したわけではありません。
西宮の政治の惨状を救うことが私のすべきことであって、
文教住宅都市西宮の忠実なシモベである私の出したい色は文教住宅都市色でした。

それに、私とみなさんとなら、4年でやり切れる。そう思いました。
私がみなさんの信頼を得たのではなく、
みなさんは文教住宅都市西宮を再建するという仕事に、もとより向かっていました。
私が市長として登庁した時点ですでに、
あたらしく始まる冒険に向けた心構えはできあがっていました。
私とみなさんは初めから同じ目標の下にあったのです。
私と西宮市役所には「2期」は長すぎると思いました。

  ■

そうと決まれば、
平成28年度の経営、平成29年度の経営、平成30年度の走りだし、
この3つの機会でそれぞれ何を為すのかを明確に心に決めました。
私は気が小さいのでその進捗が心配で、みなさんの尻をきつく叩いたこともありました。
でもいまこの平成30年の年初において私は、
私が市長のときに為すべきことは、
市長になった時点では想定しなかったレベルで達成されていると実感します。
ほんとうにみなさんのおかげです。

もとより行政経営にゴールはありません。
文教住宅都市西宮の完成は永遠にありません。
私は西宮の長い歴史の中のごく短い期間に責任を負っているにすぎません。
たまたま、西宮が非常な危機にあったときにその責任を負っただけです。

また、今村岳司一人にできることなどタカが知れているわけで、
私という要素一つ抜いたとしても、
それで4年前の情況に後戻りするような今の西宮市役所ではありません。

  ■

私は文教住宅都市という誇らしい都市目標を再定義し、
その都市目標に基づいたオリジナルな政策推進を行うことをみなさんに求めました。
国や県の方針に盲従したり、他市を横目で見ながら行ったりするような行政ではなく、
唯一無二の文教住宅都市政策を求めました。
私の思い入れや独善でやった施策など何一つありません。
すべては現在の文教住宅都市が求めた政策であり、
みなさんと方程式を解いて、自ずと導き出された施策です。
現在推進が始まっている政策施策をさらに発展させ、
現在みなさんと共に編集中の第5次総合計画をベースに行政経営が為されることで、
さらに文教住宅都市西宮はすばらしいまちとなることでしょう。

また、適性に応じた人事をおこなうことで閉塞感を打破し、
組織の機動性を向上させました。
もともと優秀で西宮に忠実で規律正しいみなさんに、
ふさわしく働いていただける組織にしただけです。
私のお気に入りで昇進させたり登用したりした人物は誰一人おりません。
すべては現在の文教住宅都市に必要な人事です。
さらには、人材採用の品質をさらに向上させました。
すでに能力の高い人材があふれていた若手職員に
ここ数年で採用した人材が加わり、
またこれからも採用に智慧と労力を惜しまないことで、
さらに西宮市役所は高い価値を創造できる組織となっていくでしょう。
今の西宮市役所はとても強い組織になりましたし、
西宮市政はこの4年で完全に復活したと思っています。

政治家の引退に遅過ぎるはあっても、早過ぎるはありません。
みなさんと共に植えた種が芽を出し木となり花を咲かせ、たわわに実を実らせるのは
いずれにしても私が市長でなくなった後になるはずでした。
それを同じ場所から眺めることを待ちたいというのは、政治家の独善です。
ましてや私の負った責任は、15年以上続いたこれまでの政治からの抜本的転換でした。
抜本的転換と、期待されるべき安定的な経営は別の政治家が担うべきです。
むしろ、いぜんの私は45歳になってまだ政治家をやっているとは
思っていませんでした。
役目を果たし切ったにもかかわらずその場を動かないと、
周りが見えなくなってしまいます。そうなる前に、
私は自分の責任を果たし切って、あと5ヶ月で市長を退任します。

  ■

これからの5ヶ月間、みなさんは私とやり残したことをやり切りましょう。
引退を決めた政治家に怖いものは何もありません。
まだ時間はありますので、みなさんがやるべきだと考えている挑戦は、
この5ヶ月で私を使ってやり切ってください。

そして、それより先には、いまの私には解決できない新しい課題も
次々と生まれてくることでしょう。
しかし、生まれ変わった今の西宮市役所なら、みなさんなら、
必ずその困難も乗り越えてくれると信じています。
みなさんは、職員として、震災後の瓦礫のまちで働き、
幹部として、15年以上続いた政治の迷走を4年で取り戻したのです。
自らが西宮市職員として幹部としてこれまでやってきたことに誇りを持ち、
その矜恃を以てさらに文教住宅都市西宮をさきわえさせてください。

  ■

個人的なことですが、
退任したあとは、政党や選挙とは、一生関わりを持つつもりはありません。
しかし、みなさんと守りぬいた文教住宅都市西宮を誰より愛し続けるでしょう。

これまでの私の人生は、ただただ西宮の政治に捧げました。
子供を設けることも、財産を持つことも、すべてそのために諦めました。
これからは自分のやらなければならないことだけではなく、
自分のやりたいことをゆっくり探したいと思います。

共に厳しい3年半に亘る挑戦を成し遂げてくれた西宮市職員のみなさまに、
心から感謝を申し上げて私の年頭の挨拶とします。

これから4ヶ月半、よろしくお願いします。

タイトル